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五輪書を読んで。

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五輪書、重々しいこのタイトルに怖気づいて、中々手が出なかった。

が。やっと、この難解そうな本を読むことにした。

宮本武蔵の驚異の遺作を・・・。(鎌田茂雄氏の五輪書)


といっても、まだ前半の数十ページなのだが、この前半でやられた。

で、この思いの消えないうちに、ここまでの感想を書くことにする。









「神仏は貴し、神仏をたのまず。」


この意外なはじまりに、魂を感じた。


人は、困った時の神頼みは、なんの信念もなくする。


しかし、神仏とは何かに興味は無い。


神仏とは、目に見えない存在だ。
だが、極めた人々は、感覚で感じる。


人間は、基本的に五感に反応して、生きている。

視覚、聴覚、味覚、嗅覚、感触だ。


だが、もう一つ、六番目の霊感がある。

霊感は、色々と言い方で言われているので、解りづらく信憑性に問題がると思う人が多いが、確実に存在する感覚だ。

波動を感じるのも霊感の一部だし、超能力も霊感の別名だ。

この捉えどころのない感覚が、第六感で、言い方など何でもいいのだが、人は呼び名にこだわる。

特に目に見えず、聞こえず、嗅げず、味わえず、触れないモノに、恐怖や違和感、不安感を感じる。

にもかかわらず、神仏には好意的であるが、反対に恐怖心をぬぐえない。


「罰(ばち」が、それである。


が、基本的には、好意を抱いて、神仏に手を合わせ、祈願し、悲願する。


だが、この祈願、悲願をを真っ向から、否定しつつ尊ぶ武蔵の姿勢は正しいと思う。


人は、神仏に頼まずとも、生きられるし、望みも叶えられることを、武蔵のような人々は、気づいているからだ。


シェイクスピアは、「天と地の間にはお前の哲学 では思いも寄らない出来事がまだまだあるぞ。」と言ったという。

これは、第六の感覚が開いたからこそ、感じ取った言葉だと思う。

そしてシェイクスピアのアイディアとは、脳が創り出すモノではなく、能が「空」の世界から感じ取ったモノだと言う事を、表した言葉と感じる。

インスピレーションとは、異空間の智慧のエネルギーを感じとる能力だと思う。

そして、具現化する意欲が、現実に存在するよう変換する。

だが、それは、己の力では無いと言う謙虚な姿勢に左右されるのだと思う。

実在しない神仏を尊ぶ心を持ちつつ、感謝する姿勢で精進していくことで、悟りの境地に辿り着く。

経を読んだり、苦行をする事では、悟りは開けないと、多くの聖者は伝えている。

一人、奥深い山奥で、修行しても人との関わりなくして、悟りは開けないし、人の心も開かない。

騒音雑多な世界にいるから、人を知る事ができる。

人は人との関わりを持つ事で、己を知る。

だが、本当の自分を観ることが出来なければ、何も変わらないし、変われない。



そして、神仏は全ての存在の中に宿り備わっている。


魂がそれだ。


どんな存在にも、魂は存在する。

魂は、ミクロでマクロだから、個であったり個で無かったりする。

有であり無だ。

だから、尊ぶが頼らなくても良いのだ。

頼らなくても、想うことが、そうなるから。


想った時点で、そのプロセスが始まるから。


全ては、想いが現実化する。

創造するエネルギーが、波動を具現化させ実体化したり、出来事ととして現れる。


宇宙は、人も神仏も自然も動物も植物も空間も全て宇宙で有り、全ての存在の想いも宇宙だ。

良いも悪いも宇宙。

神も悪魔も宇宙。


それを、五輪書の冒頭に、持ってきた武蔵は凄いと思った。


だがこれは、壮絶な戦闘を繰り返した、武蔵だから気付いたのか?


いや。では無いとも思う。


だれでも気付く事が出来るから、武蔵は書き残したのだと思う。


壮絶な時代を生きたからこそ書き残したのだと思う。


少しでも早く、多くの人々が、気付けるように・・・。
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