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善悪基準。

瞑想とか坐禅とか  525.jpg



瞑想とか坐禅と聞くと、なんだか宗教がかったようにも聞こえるかもしれない。

そして、この両者の違いってなんだ?

と。疑問を持つ人もいるだろう。


自分的には、この両者は同じもので、その違いをどうこう言うのはナンセンスだと感じている。


で、瞑想とか坐禅についてだが。


これらを、行うのに場所や環境、状況などを、選ぶ必要などないと言う事を、
今回は、書きたいと思う。



維摩経と言う経典では、維摩という在家(出家していない仏教者)の男が、
そうそうたるメンバーの仏に対して、仏教とは宗教とは悟り・・・などなどを、
こんこんと説いてい行く、摩訶不思議なお経である。


で、その中で、舎利弗に維摩さんは、坐禅のありかたを説く場面がある。


「三界において身意を現ぜず」


これは、何事をするにも、取捨選択をしてはいけないと、教えている。


坐禅についても、どこでするかなど関係ないと、一括するのである。

海に住めば、波音がうるさい。
山に住めば、松葉にあたる風音が気になる。
などと、言って場所や環境を選んでいている様では、修行などできないぞ!
と、説いてい行く。

そして、坐禅とは一点に集中できなくては、どこでやろうが同じだと説く。

雑念とは、頭の中の一人よがりのおしゃべりのこと。

あぁでもない、こうでもない、あれがしたい、これがしたい、
でも、あいつのせいで出来ない。
そいつの言い方が、親が、上司が、友達が・・・。

と言う、不都合ばかりの言い訳を止めることが瞑想であり坐禅だと思うし、
維摩経に限らず、数多くの正統な(と私が思う)精神鍛練系の本でも同じことを言っている。


兎に角、頭の中のおしゃべりをやめて、一つの事に集中する。

仏教の修行で言うと、「作務衣」と言う修行がある。

作務衣とは、服のことではなく、その行の名で、掃除や炊事など日常の作業をしながら「禅」を行うことである。

他のことを考えず、目の前の作業に集中することで、「頭の中のおしゃべり」止めることだ。

で、この頭の会話を止めた時に「悟り」への道が開かれる。

そして、その時間も長ければ良いとも悪いとも言わない。

10秒でも、1分でも10分でも1時間でも、大差ない。

長いから良い、短いからダメでは、本来の仏教(仏の教え)ではないが、宗教では違う。

悟りを開いた人間に良いだの悪だのと言う、選択はない。

なぜなら、善悪を付ける時点で、佛陀(悟りを開いた人)ではなくなるから。

でも、宗教では、善悪はとても大切なことになる。

仏の教えに善悪ないのは、善しかないから。

でも、宗教で、善悪があるのはなぜだろう?
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子はかすがい。

子はかすがい。   152_20130323095932.jpg



一見きれいな言葉に聞こえるが、
自分は、この言葉が好きではない。


かすがい=鎹

ウィキペディアより

鎹(かすがい)とは、金属製で「コ」の字の形状をしており、尖った先端部が2つある釘をいう[1]。
両端をつなぎ合わせる木材にそれぞれ打ち込むことにより接続する。


子はかすがい。

子供が、不仲な両親を繋ぎとめる?


子供の為に離婚しない。
子供が成人するまで我慢する。


など、TVなどで耳にするが、その間の数年間、自分達がどんな感情エネルギーを放出しながら生活しているかを理解していない。

まぁ、殆どの人がそうだが、自分の放つ波動エネルギーの強さを理解していない。
自分が放つ波動とは、頭で考えている事が放つエネルギーだ。

特に「恨み、妬み、怒り」などマイナスの波動を放つ感情エネルギーは、周囲の関係の無い人にも強い影響を与える。

例えば、飲み屋で喧嘩が起き、一触即発という静まりかえった瞬間に、その店に入ったと想像してみれば分かるもしれない。

喧嘩の起こる瞬間に、自分はいなかったが、入った瞬間に場の張りつめた空気を感じることはある。

この状況では、「怒り」と「不安」の波動エネルギーが入り乱れるので、敏感な人は身動きが取れなくなる。
自分に関係ない事でも、人は何かしらを感じる。
「場所」「モノ」「動物」などからも、感度の違いはあるが確実に感じ取っている。


では、話を戻して「子はかすがい」だが、
子をかすがいにして、続ける家族関係がいかに子供の精神に影響を与えるか?
夫婦とはどんなモノかを教えるべき立場の親が、怒りを隠して表面的な夫婦を演じても子供には分かる。
中学くらいになれば100%感じ取る。

で、このくらい大きくなると、あからさまに夫婦間の心の態度を露呈しだす。

父親が母親を罵倒しこき使って家政婦扱いすれば、それが夫婦だと思い込むかもしれない。
母親が父親の悪口ばかり言えば、父親をバカにして威厳を奪い親子関係まで崩壊していく。


あげく子供に、「あんたがいたから我慢して離婚しなかったんだよ」などと平気で言い放つ親までいる。


これでは、「鎹(かすがい)」どころか「楔(くさび)」だ。


まぁ、ドラマや映画では、その後、ハッピーエンドとなるが、現実の家族では、熟年離婚となり慰謝料の請求へ進んで行くだろう。


「子はかすがい」

この言葉、波動を見ると元は、キレイな使われ方をしていた言葉だと感じる。
だが、時代の流れと共に、人の意識が変わり、使い方が変わると、言葉のもつ意味まで変化しているのかもしれない。

「怒る」と「躾(しつけ)」の違いの分からない親が多い昨今、もっと子供達の心の成長に目を向けて行かなければ、
ここ数年増え続けている、凶悪犯罪は増加の一途を辿る一方だろう。

まぁ、自業自得なのかもしれないが・・・。

不平不満を捨てて人生を好転させる。

191.jpg


不平不満を捨てて人生を好転させる。


「不平不満」


今まで、この言葉を軽く見ていたなら、今一度考えると良い。

実際に、この言葉の持つ意味は、常識以上に大きい。


不平不満はどこから来るのか?

それは、自分の思考から来る。
日々、毎時、毎秒と目まぐるしく変わる思考は、必ず具現化し実態となって現れる。

例えば、仕事や上司への不平不満は言えばいうほど強烈になり、決して離れない。

だが、褒め称えれば、不平不満のマイナスエネルギーは消滅する。
でも、人は、不平不満が好きなので、なかなか手放さい。


仕事が嫌、会社が悪い、社長が遊んでる、あいつはズルい、そいつは使えない・・・。
職場で聞こえる罵詈雑言の数々。

このマイナスな言葉たちの発する波動は、極めて低く、その場の空気が一瞬で淀む。

でも、一番「淀む」のは、本人の心と身体だ。
低い波動は低い波動と共鳴し、引き寄せ合う。

だから、不平不満を言えば、不平不満の元を自分自身に引き寄せているのと同じだ。

「なんでこんなことが!私に起こるんだ!」

は、自分自身が引き寄せていると気付けば、いとも簡単に身の回りの出来事は好転する。


しかし、それには自分を知らなければならない。


自分の考え方をよく観察して、検討して、傾向を分析する。
そして、考えを発する言葉一つ一つを注意深く見守り発する。
行動も慎重に、選択する必要がある。

そんなこと一々できないと言うかもしれないが、それでは人生は好転しない。
人生を、変えると言うのは、自分の考え方を変えると言うことだから。
※(不平不満を抱いている人限定)


考え方や見方を変えれば、言葉も変わるし行動も変わる。

今まで、悩んでいたことが、悩みで無くなり、人生の肥やしだったと気付く。

苦手な人が、教師に見える場合もある。(反面教師の場合も)





人生は、お金やモノでは、決して好転しない。

でも、お金やモノに依存しないで、付き合えば、お金やモノは便利な人生のアイテムになる。



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kodama

Author:kodama
思った事を、感じたままに書いていますので、言葉に語弊を感じるかもしれませんが、
あらかじめご了承下さい。

※書いた記事は、途中で編集することが、多々あります(・_・;)

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