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普通って・・・なんだろう?

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今回は、「普通」についてです。

普段、「普通はさぁ~」とか「普通はこうだよね」又は、「あぁするのが普通じゃない?」と、
普通に使っている「普通」についてです。


では。いきます。






人は、それぞれ自分の「普通」で思考し、行動している。

そして、国や地域や会社と言う大きなコミュ二ティも「普通」がある。
しかし、この「普通」国々で違い、地域で違い、宗教間でも社会どうしでも大きな違いが有る。

でもって、家族や友人と言った小さなコミュニティにも、独特の「普通」が存在し、
友達で作るグループの間にも、独特な普通が存在する。

では、「普通」とはいったいなんなんだろう?

自分の認識では、「普通」=「常識的な考え・行動」と言う事を指す時に使っていると思っている。

が、しかし、これも先に書いた、国、会社、地域、家庭、知人など、各コミュニティーどうしで違っている。

しかし、人は、「普通は・・・」と言う言葉をよく使う。

しかも、世界各国津々浦々で共通の「常識」と言うの様に・・・。

だが、実際には、我々が思っている、普通とか常識など、人間社会に存在したことは無い。
これは、何を基準にして、「普通」や「常識」を決める基準が違うからややこしくなる。

その基準だが、正しい、正しくないと言う善悪を基準としたものや、利益を重視したモノ、
権力とった個人的エゴイスティックな基準から発生したモノまで、様々ある。

で、こうなると、普通なんて無いも同然の様なモノだと言う事が見えてくる。

そう、普通なんて存在しないし、道徳的な事も国が違えば変わってくるし、
トップが変われば全てがヒックリ返る事もある。

で。更に、厄介な事に、この「普通は・・・。」を、言葉にする人ほど、言葉と行動が伴っていない比率が多いことだ。
これは、人は自分自身の思考・言動・行動を意識して観察し管理していない事の現れだと思う。

「灯台、
下暗し」自分の外側の出来事は意識して見るが、自分の内側の事に関して人はあまり意識を向けない。
また、自分勝手な思考、言動、行動は正当化して見て見ぬふりをする。

では、「普通」っていったい何?

に、なるわけですが。

これは、考えるまでもなく、国。宗教。地域。家庭(家族)など全ての人間関係において、
お互いを大切で、尊く、愛すべき存在と知れば「思やりの気持ち」から「思考」することが「普通」となり「常識的、道徳的考え」になり、平和な世界が広がると思うのですが、これがまた人類の最大の課題のようです(-_-;)



                END

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幸せとは・・・?

181.jpg


今回は、「幸せ」について書いてみたいと思う。

と言うのは、日々、人と接していると感じるのが、「幸せの基準」の相違を強く感じるからだ。

で、この基準によく使われるのが、「勝ち負け」という判断。

でも、幸せって、勝ち負けで、決まるのだろうか?

幸せの定義は色々有ると言うが、果たしてそうなのだろうか?

で、何をもって幸せと考えるかで、真実の幸せと虚偽の幸せに別れるような気がする。



例えば、お金が有る事が、幸せの定義としてみる。

しかし、お金が有る人、全てが幸せとは限らない。
反対もしかりで、お金がないから不幸とも限らない。

自分の知る限りでも、お金を持っている人でも「不幸」な人は多い。

で、この場合の不幸な人とは、
お金が有るのに「まだ足りない」と、思っている人などがそうだ。
こういうひとは、自分より、お金を持っている人を、見て羨みまだ足りないと思うから、
幸せを感じられず、いつも不安とイライラを抱え込んで、負の波動を周りにまき散らしているように感じる。
でも、これは、実際にお金が無い人も同じ。

では、逆のお金が有るけど、幸せな人とは、どんな人か?

簡単に書くと、お金が有る事にこだわらず、ただただ、今に幸せを感じられる人だ。
こういう人は、執着心がないから、所有するモノも、自分に必要だと言う意識がしっかりしてるので、
選び方や扱い方もスマートだと思う。
で。これは、無い人も同じで、お金に捉われていないから、今の状況に満足し、
自分の生き方や所有物にも工夫が出来るから、現状に幸せを感じられる。

だから、どんな状況でも、生きている事に、幸せを感じられなければ、
どんなにお金があっても、モノを多く所有していても、幸せにはなれない。

と言うか、だいたい「幸せ」と言う事がどんな事なのか、知らないから「幸せ」になれないと言う方が正しいかもしれない。


人は、それぞれの人生にテーマや課題があり、そのテーマや課題をクリアすることで、
精神的な成長をし、新たな幸せを見つける事が出来ると、自分は考えている。

だが、ほとんどの人は、自分のテーマや課題より、他者の生活と自分の生活を比べて、
今の人生がどうか判断している。

簡単に言えば、「勝ち負け」という基準での判断だ。

しかし、人生に「勝ち負け」など無く、生きる事に喜びを持って接しなければ、
どんな生活をしていようが、幸せを感じる事などできない。

で、これは、個人に限らず、家庭、学校、会社、地域、国と全てに反映していく。

この幸せを感じられないと言う人々の集合意識が、今の現代社会に大きな影響を与えている事に、
気が付かない限り、奪い合いは無くならないし、戦争と言う愚かな行為も消えない。

これは、隣の家を羨むと言う愚かな考が、隣国を羨むと言う更に大きな愚かな集合意識へと変化しているのに、
未だに気が付いていないと言う事だ。

この地球は、人類や他の生物に有り余る資源を用意してくれている。

それを、ある一部の人々が取り合うから、足りないように見えているだけで、
上手に分配すれば、足り過ぎている事に気づくはずだし、
もし本当に足りないなら、本当に必要な事にだけ使うようにすれば良いのに、
人類は何が必要で、何が必要でないかと言う、判断の基準を個人レベルから考え直していかなければならない。
で、残念なことに、この基準が決められず、技術ばかりが先行し数千年にわたり、この基準を作れずに奮闘している。

この愚かな「勝ち負け」の基準の無意味さに、気づかなければ、
人類は、また愚かな決断をすることになると、ニュースを見る度に感じてしまう。



                END
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Author:kodama
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あらかじめご了承下さい。

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