不運・不幸の正体
不運・不幸の正体は、思考が過去の記憶から創り出す妄想・想像に過ぎない。
そもそも、幸運とか不運を決める基準は曖昧で、個人個人で捉え方や解釈が異なり、
人れぞれ幸運と不運の判断基準が違う。
更に、人は他人の判断基準を自分の判断基準と比べ、
6割りくらいの人は、多数の人の判断基準を採用し自分の判断基準とする。
これは、他人と自分が違う事に対する不安や恐怖が引き起こす、
もっともしてはいけない行為だ。
と、言うのは、この多数の判断は、国や人種でモラルの判断基準が変わり、
真実の良心的基準から人々を切り離す場合があるからだ。
例を言うと、自分の基準と違っても、人間の上下関係(パワーバランス)の間で、
歪んで道徳的でない基準を採用することもある。
現実の例では、「非人道的な国」存在し国民の貧困より軍事費と自己の資産を、
大切にしてる人種がいる事で証明されている。
では、話を不運・不幸は妄想だという話に戻そう。
まず、不運・不幸は、自己責任の逃避の場合が多く、
たいがい、自分の思いどうりにならない事への文句に過ぎない。
何故なら、親子間夫婦間の問題で仲が悪く、いるだけで喧嘩してしまう人達は、
お互いの自己主張が強く他者への思いやりが無いなことに気付いていない。
お金に困っている人のほとんどは、ギャンブルやショッピングなど、
自分の収入に見合わない無駄遣いを無視している。
その他、物事への過剰な執着は、もっとも注意したほうが良い。
だから、まずは、自己分析、自己観察(内観)して、自分自身を知ることから始めると良い。
で、次に感情的なモノを無くした眼(心)で「他者観察」をして、自分と相手の違いに気付けるようにしてみると、新たな発見が出来るかもしれない。
これには、瞑想や心の動きに関する本が役立つし、重要なヒントも多い。
仏経などの講和本も良い。
が、「宗教団体」のモノでない「真の仏教講和」などが好ましい。
少し、説明すると、「仏教」と「宗教」は全く別物だからだ。
仏教は=仏(悟った者・賢者)の教えで、口頭伝授がほとんどで、
これはダメ、あれはダメだのこうしろ、ああしろ、お布施や物品を欲しがらない。
更に、人類の平和を永遠に、無償で祈ってくれている。
で。宗教は、「仏達の真理」を独自モノとし、人を集める団体。
更に言えば、同じ「仏」の真理から始まったはずなのに、他の団体と競い、こっちが正しいお前達は違うとか、
信者の数を競ったりと言うレベルの低い団体や、人々を世俗的で傲慢な真理に取り込みコントロールする最悪な団体まで存在する。
そして、更には金銭・物品など「欲」にまみれた指導者も時々見かける。
だから、自己判断基準を厳しく観察・監督していないと、こういう人々に取り込まれていしまうので、気を付けよう。
そして、こういう歪んだ団体の信者は、心が弱っている人をターゲットにする。
これは自分自身が過去に経験しているので、解るのだ。
で、解るのに心をコントロールされると、他者を引き込み巻き込み、更なる不運と不幸を引き寄せるのだ。
と、話は、不幸の正体へもどそう・・・(^_^;)
で。不幸や不運だと言う人ほど、自己責任に対する認識が薄く、
全て自分の思いどうりに事が運ばないと気が済まない人が多い。
不幸や不運だと思えば思うほど、不幸の「不」の波動=マイナスエネルギーを引き寄せる。
例えば、不運な出来事がおきた時に、いつまでも、その出来事を思い出して悩んでいれば、
その不運な出来事と類似した「不」の波動を引き寄せ、更なる不運と思い込みたくなる出来事を呼び寄せる。
と言うのは、全ての波動は似たエネルギーを引き寄せるからだ。
これは、度々書いている「類は友を呼ぶ」又は「類は類」という性質上しかたがない。
だから、「批評批判」をすれば、「批評批判」好きが集まり、愚痴れば、愚痴好きが自然に集まり、
自分の不運を人に言えば、更なる不運を引き寄せることになる。
また、人は無意識に他人の波動を感知してしまう能力を持っているので、
不運と思い込んで、クヨクヨしている人と関係を持てば、その人の波動を取り込むことになる。
これには、感度の強弱はれど、基本的に人は皆、波動感知能力をもっているので、
多かれ少なか確実に影響が出てくる。
だから、感度の良い人(感の強い)は、自分の意に反した出来事が目の前に現れると、
困惑し混乱してしまい、「この出来事はいったいどこから来たのか?」と、
他に原因を求めるが、実は自分自身が招きこんでいると言う事に気づかない限り、
招かざる不の出来事から解放されることは無い。
また。人の波動(思考)に左右される傾向が強く、
ポジティブで心地の良い波動の人と繋がれば良いのだが、
ネガティブな波動の人と繋がってしまうと不運な出来事が起こりやすくなる。(引き込まれやすくなる)
と言うのは、ネガティブな波動に飲み込まれると、
自分自身の波動がネガティブになり、そのマイナスな波動を発信してしまうからだ。
例えば、先に書いた「批評批判」などを、人と話すだけで、
この連鎖は始まり、発信源の人を経由し自分が中継点となり更に人を集めたり、
出来事を引き寄せる。
では、この不連鎖を止めるにはどうすればいいのか。
簡単なのは、ネガティブな波動を発する人との繋がりを切るのが一番手っ取り早い。
一番良いのは、会わないようにするのが一番だが、
仕事場などでは難しい場合が多いので、
もし、どうしても話さなければならない時は、相手の会話に「同意」しないようにする。
例えば、他人の批評や愚痴を聞かされた時は。
「そういう人もいるんですかぁ~。」と言うように、「否定」も「肯定」しないようにして、
「そうそう、自分もそう思います。」と「同意」し話を合わせないようにするればいい。
これだけで、不の波動の影響が小さくなり、その後、会話をポジティブなモノに切り換えて行けば、
その場のエネルギーを変える事ができるが、これがナカナカ難しい。
また、ネガティブな事を、頭で考えても、不の波動を発信してしまう。
心で思い描いた事は、その時点でエネルギーとなり、その人のオーラに流れ出す。
例えば、人を頭の中で批判すれば、批判の度合いに見合ったマイナスエネルギーが、
オーラに流れて、周りにいる人に伝わり、その後、送り出したマイナスエネルギーが自分に戻って来る。
で。この戻ってきたエネルギーが「不幸」な出来事の引き金となる。
では、なぜ不運とか不幸になるような行動を人はとるのか?
その理由のほとんどは、「不安」や「恐れ」が元になっている。
特に、他人の言葉や態度に過敏な反応をしてしまう人ほど、
この二つを元に「不の物語」を想像するのが好きだ。
「ああなったら嫌だ。」「こうなったらどうしよう。」などと言う不幸まっしぐらな考えをループさせている。
だから、実際は自分自身で不幸を招き入れる準備をしていると言ういことだ。
で、信じられないかもしれないが、こういう人は、実は「不幸」が大好きなのだ。
なぜかと言うと、不運や不幸を知らず知らずに自分に必要なアイテムだと勘違いしているからで、
不運・不幸を心底、愛しているからである。
また、こう言う人は、「被害者意識」とも仲が良く、自分を小さく弱くすることで、
他者を「悪者」として「ゆがんだ自己防衛本能」へと変化せていく。
で。この「ゆがんだ自己防衛本能」が思考を支配すると、
全ての出来事を、ゆがんだ解釈で見るようになり、
他人の言葉の真意を聞けず、自分勝手な解釈で読み取り行動して、人間関係を悪化させていく。
だから、まず自分は不運でも不幸でも無い事に気付くことが、
幸せになる唯一の道だと思う。
まずは、心を平和で静かで、清らかな状況にしてみよう、不の連鎖は終息していくことに気付くと思う。
もちろん、意識を平和に保つには、時間はかかる。
これは、執着と言うエゴのもつ習性だが、これも訓練次第でコントロールできるようになるし、
不運や不幸を、意識を変えるチャンスだと思えば、変化に加速度が増す。
そう。人間には、自分自身で人生の問題を解決出来るだけの力はちゃんと備わっている。
だから、この方法を知るには「真実を見ようとする眼」と「純粋に愛から考え、行動する」と言う事を、
意識的に知ろうとする精神を育てようと決心することだ。
END
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