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鎮守の森とは・・・。

ふと、「鎮守の森」と言う言葉が頭に浮かんだ。

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最初、頭に浮かんだのは、「ちんじゅの森」という感じで、「ちんじゅ」ってなんだろう?
という感じだった。
で。次に「ちんじゅ」?「ちんしゅ」どっちだろぅ?という疑問になって、調べてみた。
で。検索したら「鎮守の森」と出た。

で。この字を見て「あぁ~。鎮守ね。」と、なぜか素直に納得できた。


で。更にウィキぺディアで調べてみると、神社に「付随する森」とあったので、
「あぁ~。あの神社に隣接する森ね。」と、繋がったが、
この「鎮守の森」人口密集地では、開発と称して破壊されつつある。
 というのも、神社巡りで感じていたことだが、小さな神社で住宅地にある場合などは特に顕著で、
拝殿がむき出しの違和感を感じる神社がある。
 さらに酷いと拝殿を囲む木々が、ほとんど無い神社もあるのが悲しい。


で、「鎮守の森」と聞いて、自分的には。

自然神をはじめ眷属、精霊、妖怪など、
その神社の守護や元々住まわっていた存在達の住居的な役割の様に感じた。

と、言う事は?「鎮守の森」って神社にとって凄く大切な森じゃないか?!

と。以前、熱田神宮に行った時の事を思い出した。
時代小説、山岡荘八氏の織田信長では「熱田の森」と書かれていたので、
伊勢神宮の様に広大な森を背後に配し、自然のエネルギーに満ちた神社だと想像していた。
(因みに自分は、出雲大社・伊勢神宮・熱田神宮と、三種の神器を祀る、この三社全てに参拝している(^_^;))

が。しかし、実際に行ってみると、神社の周辺を囲むように大きな道路が通っていた。
で。更に電車・駅ビル・商店街・飲食街が、神社の周りを埋め尽くす状態で、
神宮周辺は精霊などの存在は皆無だった(-_-;)

確かに、現在の熱田神宮でも、かなり敷地は広いと思うが、戦国以前は、もっと広大な森か林が広がり、
その周辺に田畑の広がる情景が浮かぶ。
更に、名古屋城は古墳の跡地と言うか、祭事場だったような気がする。
そして、その守護としての「熱田の森」ではなかったのか?
と、そんな当時に思いを巡らすと、創造力が創りだす映像が次から次へと湧いてくる。

まぁ。この空想はこの辺にしておいて・・・。


更に!この不信心な人間の開発は「神域」を、断りもなく切り取り、そこに棲む存在を追い出した。
これは、我欲中心の人間が「神」「眷属」「精霊」達に対し繰り返してきた行為だ。
でも。これは熱田に限らず、日本中のそこかしこで行われている。


これでは、神社の結界は、破壊されてエネルギーの流れは乱れ、
本来のパワーが発揮できなかったり、本来の役割に支障をきたしている社も多い。
更に、過去に奉(たてまつ)られた存在が、祀り方が、あまりにも雑なので、
これに業を煮やし復活しても、おかしくない状況のところもあるかも・・・。


そして、祀り=祭りは、本来、神へのお礼がメインなのに、
今では、人間の娯楽へと変貌している。
参加者の中には、そのお祭りの趣旨や神仏すら知らない者も多い。


日本人は、太古の昔から自然全てに神が宿ると考え、八百万の神として奉り、
「神」=「自然」と共存してきた。

更に、この自然以外にも、「神」を造り、自分達の良いように改造もしてきた。

例えば

願望成就・開運金運・無病息災・家内安全・縁結び、など、
様々な願望を叶える為にいろんな「神」を創造し、
太古から八百万の神々の宿る場所=神社に、これら願望成就の神々として配し、
人々の「自然や他の人々を尊ぶ心」を、忘れさせ「我欲の心」に目覚めさせてきたように思う。

神前で、我先にと「さい銭」を投げ飛ばし、二礼二拍手も形だけ。
己の願望だけに執着した祈願を、この時ばかりは、一心不乱にするわりに、実ればラッキー程度にしか思っていない。
更に、願など叶わないのが当たり前だと、思っている。

でも、何故、人は神社に行くのだろうか?

困った時の神頼では、神も仏もあったモノではないと思うのだが、ここが神仏の器の大きさだと思う。
でも、眷属は、神ほど心が広いとはかぎらない。


で、せっかく、素晴らし存在の守護を得られるのだから、
もう少し、自然を尊び、神々の力をもっと素直に信じても良いのでないかと思う。

また、この「神秘の力」を感じる事で「感謝」の気持ちを育み、
他者(人間以外の生物・物・存在も含め)への「思いやり」とは何かと言う基本的な事を、
忘れないでいたい。

と、また、お題と違う話になってしましたが、お許しを・・・(-_-;)



             END



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波動の変化と人間関係 (再編集版)

今回は、過去に書いた「波動の変化と人間関係」を編集版です。

当時は、頭に浮かんだ事を、「ダー・・・」と、書いて、ろくにチェックもせず(-_-;)
「公開」していたので、誤字誤文のあまりのひどさに書き直してみました(^_^;)

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今回のテーマは、波動の変化と人間関係です。
簡単に言うと、
自分の波動が変化することで起こる、人間関係の変化を見ていきたいと思います。


では、いきます。

人や物と言う物質は、個々に固有の波動=周波数を発しています。


で、今回は、人の「思考」が発する波動に焦点をあてます。

人は、何らかの出来事が原因で「思考」が変わると、その人全体の波動にも大きく影響が出ます。
これは、思考が発するエネルギー=波動の周波数が変わるからです。

今回は、この波動の変化を、簡単にポジティブとネガティブで分けます。

で。これが、どちらよりになるか?という事で、人との関係に出てくる影響が違ってきます。



まず、今まで「普通?」だと思っていた付き合いに違和感が生じたりします。
この違和感は、「疑問」と言う形で現れるのが多いと思います。

例えば、
「Aさんて最近、結構自分勝手な感じがしてきたぞ?
以前は、感じなかったけど、自分の都合の良いようにしかしてない感じがする。
言葉とは裏腹に・・・・。」


と、このような「疑問」が徐々に真実と感じるようになり相手の「実態」がハッキリしてくる感じです。

で、これがもっと確信的になると、自分自身の波動と相手の波動の違いが大きくなるんです。


そして、この波動=周波数の違いが、

「波長が合う、合わない。」となるわけです。



で、この結果、お互いが出す波動が大きく違ってくると、
相手の行動、言動に反発的になり、摩擦が起こります。
また、決別するような決定的な出来事に発展することも有ります。

例えば、単純に今まで、聞き流せ事が許せなくなったり、
相手の話の真実(思考の真意)に気付いたりした事でおこります。

これは、波動がずれた事で相手との違いが明確に感じるようになったと言う事で、
今まで(無意識状態)なら中々感じ取ることが出来無かった事に意識的になったと言いかえる事が出来ると思います。。
で、この違いは、利己的な人同士なら普通に主権を取り合うな争いになったり、
片方が利己的で操作的なら、それに気付いた人はは、その呪縛から解かれ解放され決別できます。


で、こうなると、だんだん意識がはっきりしてきて、今までの付き合いの記憶から多くを学ぶことが出来ます。
自分の無意識な反応が生んできた数々の問題解決のヒントが気づきとして感じるようになるんです。

でも、無意識な反応の中に「利己的自我」いわゆる「エゴ」が介入していると、問題が解決するどころか、
このせっかくの「気づき」を、捨て去る結果になるんです。
単純には、「エゴ」が、他者批判をはじめたり、責任転換や被害妄想などに変化させ、
自己防衛体制に入り、攻撃目標を探し出すんです。

これでは、
せっかく気づきかけたのに、この「エゴ」の放置で、自爆行為にもなりかねません。

でも、これが、人の癖かもしれません。
と、言うのも。
自分可愛さに、相手の欠点を見つけ出すということは、日常茶飯事的に耳にします。


で、これに対処するには、「良いか」「悪いか」と言う損得でモノを見るで利己的な判断に注意すると、
意外と抜け出すことが出来ます。



ここで話を戻しますが、波動が違ったもの同士のその後です。
こう波動の違いがハッキリしてくると、波動(周波数)が違う人間同士は、同じ空間にいることが出来なくなります。
その作用は空間全体に作用し、「偶然ばったりの出会い」や「すれちがい」すらなくなります。
本当に近所に住んでいても会うことが無くなるんです。

で、また、この波動の変化は共通の友人・知人にまで影響が出て、波動の似た者同士で別れていきます。
これは正に「類友の法則」です。
似た波動を持った者同士は引き付け合うんです。
だから、自分の属するグループの全体像を時折見ることも大切です。
グループの中の個人個人を見ていると気付かない事が、グループの全体像を見ることで、
どんな仲間なのかが見えてきます。
思いやりのあるグループか、利己的で批判的なグループかでは、
その後の人生に大きな違いが出てきますから、本当に注意したいです。


で、まとめです。

真の思いやりがあれば、おのずと自身の行動の選択は絞られ、
お互いを傷つける事のない選択ができ、
人間関係も円滑に流れ、人生も好転すると思います。
まずは、エゴの自己診断などを、取り入れ、批判的な心、利己的な損得勘定などのチェックをしてみると良いと思います。


              END

事任八幡宮へ金運祈願(^_^;)

今日は、久しぶりに事任八幡宮に参拝してきました。

と、言うのも事任様最強のお守り(個人的に)勾玉(まがたま)のストラップが切れてしまい、
大切な翡翠(ひすい)の勾玉が紛失してしまったからです(-_-;) 


あと、今年は、車の車検や、パワスポ巡りでETC割引のあまりの安さについつい多用かし過ぎたのと、
本などをはじめ、各商品のあまりの安さにAmazonでの買い物の過ぎで、ここんとこ散財気味なので、
今回は、事任様の力を借り、本気で「金運」と「諸願」が成就するよう、心を込めて、お願いをしてきました(^_^;)



では、気合の参拝です!


久しぶりなので、まずは由緒から↓

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        ※写真をクリックで大きな画面になります。

この日の事任様は、地元の方々が落ち葉の清掃をしておりました。
本当に人々から愛されている神社です。


拝殿と、ご神木の大杉です。

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鳥居横の大楠に皆の眼が行くため、こちらの大杉に気付かない人がいるようなので、
しっかり紹介したいと思います。


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智満寺の大杉の「ドカッ」とした波動と違い、まっすぐに伸びた事任の大杉は、女性的な感じの優しい波動を放っています。
しばらく眺めていると、心身が浄化され日頃の不浄も綺麗に洗い流してくれます。
この大杉。直に触れなくても、木の前にたたずみ手のひらを杉に向けるだけでも、
手の平や顔が「チリチリ」してきます。(※人によって感覚は異なると思うけど)

もちろん、社内、全般の木々の波動も、とても気持ちの良く、社内は自然エネルギーの力強いパワーに満ちています。
本当に、事任八幡宮は素晴らしい神社です(^_^)


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お次は、金運祈願です。
ウカノミタマ様です。
先月は、神道系のお稲荷様の総本家、伏見稲荷に参拝してきてますから。
金運、開運のパワーを、受けやすくなってる・・・かも(^_^;)


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で、今回は、蝋燭での初!祈願をしてきました。

この気合は、必ず事任様に伝わると思います(^_^;)                 
この切なる願い、必ず成就すると思われます(~_~;)
               
                 061.jpg

初めて、蝋燭祈願。
これは、必ず何らかの形で願が叶うと感じます。
火が途中で、消えませんようにm(-_-)m

と言うで、結果は、乞うご期待(^_^)/
今回の祈願で、どんな成果で現れるか楽しみです^^


    「果報は寝て待て」


因みに、神仏に祈願した場合。
自分本位の期待をせず、自分の思い通りの結果だけを望まない事も重要です。
神仏からの贈り物を、どんな形でも素直に受け入れる心構えが、肝要。
兎に角、あとは「神」まかせ(^_^;)が、良いと思います。






で、最後はやっぱり、大楠です。
相変わらず、見事で立派で堂々としてます。
今日は、なんだか、いつもよりも穏やかな感じがしました。



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今回、大楠を、初めてこの角度から撮ったのですが、今までで一番良いアングルだと思います。(自画自賛か?)






参拝を終え、車に向かうと、田んぼの畔に彼岸花が咲いていました。
綺麗に稲刈りされた田んぼと青い空に鮮やかな彼岸花の赤がベストマッチしてます。

 
     
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              END

自分の心の動きを知ることが、開運へのカギ。

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自分に非が有るほど、その責任の所在を他に求め押し付ける。

その原因を、相手にハッキリ言えないのは、自分の非を認めたくないから。

怒りが心にわいた時ほど、冷静に自分自身を見つめると、観えて来るモノがある。

その時ほど、本当の「自分の心」と、向き合うチャンスは、無い。

この一瞬を捉えられるかが、本当の人生を開く鍵。

開運とは、自分自身の心の動きを捉え、無意識に「考え」「発言」し「行動」する事をやめること、
常に心に意識を向けて「考え」と「発言」と「行動」に責任を持つこと。
全ての出来事や物事は、自分自身の「心の動き」の結果だと理解して、
他者への責任転換をやめ自己責任なんだと理解する事が、不運だと思い込んでいる人生から目覚める鍵になる。

自分が不幸だと感じるのは、親でも兄弟(姉妹)でも友達や上司・同僚・部下・・・達の責任では無い。

全ては、出来事へ対し自分が「思考」「言動」「行動」で何を「選択」したか、するか、と言う事。

相手がとった「思考」「言動」「行動」を「批評」し「批判」し「判断」して、自分を守り、
他者批判をしていては、「人生の負の連鎖」は止まることは無い。


と、いろんな本に書いてあったが、「本当だなぁ~。」と、つくづく感じることが多い今日この頃・・・。

あと。「自分以外は、皆、教師」と言うのも良い言葉だな。



                     END




論語 


本格的な論語の本で、解りやすい本があるか、同僚に聞いてみると、
「守屋 洋さんの本が良いよ」
と、いわれ得意のAmazonで調べると、「論語の人間学」と言う題名に目が釘付けになった。

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で、さっそくワンクリック購入してみると、これも実に読みやすく面白い!
孔子の人柄、主な弟子たちとの関係なども書かれていて、孔子の人間性までも大変よく書き込まれているのだ。

で、これは、守屋さんが、孔子の本質を掴んでいるから、こんなに解りやすく書けるのだと思う。


以前、般若心経講話と言う般若心経解説本を読んだ時に、著者の鎌田茂雄さんがこんなことを書いていた。

「仏教の学問でも、「実相般若」と「観照般若」と「文字般若」の三つがあるなどというが、
それは暇つぶしな仏教学者にまかせておけばよい。仏教学者というのは、仏法の物しりになって、自分の眼をつぶすのである。」

「いろいろと経文の解釈を知り、経典をそらんじ、詩を作り、歌を詠んでだからといってそれは智慧ある人とはいえない。」
中略
「たしかに知識は豊かで、情報もおおいほどよいにはちがいないが、仏法でいう智慧からみれば、そんなことはどうdもよくなる。われわれ自身が本当にもっている自由なはたらきこそ真の智慧でなければならなぬ。」


やはり、知識だけで書いた本ではなく、その本質を掴み理解し人々に伝えることが出来なければ意味が無いと思う。
難しい言葉を駆使し、自分の知識をひけらかすだけの本からは、何も伝わらないし、何も感じない。

これは、本に限らず人間全般に言える。

「本やTVなどから得た知識だけの人の話は薄くてつまらない。」

「逆に、実体験から真実の話をする人本当に面白い。」

と、自分は思うのだが、どちらかと言うと前者の方が多く感じられる気がする。

なぜなら、物事の、その本質に触れる人極めてわずかだと思うからだ。


理由は、簡単、今の世の現状が物語っている。


「論語」2500年前に書かれた、この尊い書を、ちゃんと後世の我々に伝えてほしい。

また、社会の繁栄に「論語」の知識が必ず役立つと思うのだが。

自分で勝手に偉いと思い込んでいる人々が、この論語の素晴らしさを、
微塵でも気が付いてくれれば、もう少し生きやすく争いのない世になっていたと思う。


特に利己的で自己顕示欲の強い人々は、金・権力・名声を欲しがるだけで、
社会貢献というモノに興味が無いし、「論語」のような素晴らしい内容の本を嫌う。


これは、この本が放つ「愛の波動」を受け入れられないからだ。


利己的権力者が読むのは、知識で自分の素晴らしさだけをアピールしている人間が訳した「論語」で、
守屋さんのようにしっかりと本質を掴んで訳す人の本に到達できない。

これが、波動の法則だと思う。


孔子は、「信」と言う言葉を重要視していた。

「信」は、信頼の「信」だ。

人間関係に一番重要な物は「信」だ。

人の「信」を知るには、その人の本質を観なければ解らない。
これは、じっくり観察すれば視えてくる。
初めは、言葉に惑わされるかもしれないが、人の放つ波動は嘘をつけない。
波動を捉えられるようになると、いつもと変わらない表情でも、違って視えるようになる。
言葉の真実も解るようになる。
時には、臭いからその人の感情を読み取る事もできる。

孔子は、時にかなりキツイ言葉を使う。

「四隅の一つを教えれば、他の三つの隅の事を考えて応じるような者でなけいと、それ以上教えることはしない。」

人を突き放すような言葉だが、普段の生活の中で、あたりまえの事をでも言える。

挨拶をしない人に、挨拶をする理由を教えたくなるか?
ありがとうを言わない人に、ありがとうを言う理由を教える気がおこるか?
人の優しさ、思いやりを感じない人に、人の優しさと思いやりについて話したくなるか?

こんな当たり前と思っている事も、常に実行している人は少ない。
特に家族観や恋人、友人関係になると、

「まぁ~良いか」

で、済ましてしまう。

また、一度許されると、どこまで自分の行動、言動が許されるかと言う範囲を見極めて、
人と接するようになったりする人がいる。
自分は、こういう人と接すると本当に悲しくなる。

事実、会社でも挨拶やお礼もいえず、思いやりすら知らない人が大変多い。
更に、ただ、自分の気分が悪いと言うだけで、言わない人もいる。

でも、だからと言ってその人達と同じになることは無い。
積極的に「挨拶」や「ありがとう」を言い続けるようにし、
同類にならない努力が必要だ。
返事や反応が無くても、言い続けることが、ブレない人生の糧になると思うから。







論語。こんな良い本を、今まで読まなかったなんて・・・

ちょっと、損した気分です(^_^;)





               END
プロフィール

kodama

Author:kodama
思った事を、感じたままに書いていますので、言葉に語弊を感じるかもしれませんが、
あらかじめご了承下さい。

※書いた記事は、途中で編集することが、多々あります(・_・;)

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