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伊賀八幡宮

今回は、岡崎市にある伊賀八幡宮です。

伊賀八幡宮の詳しい由緒、由来はHPで↓
http://www.igahachimanguu.com/


宮内の由緒の看板です。
042.jpg
※写真をクリックすると大きな画面になります。


では、いよいよ参拝です(^_^;)

まずは、「神橋」です。

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と、普通に「神橋」と、書いていますが、初めて「神橋」なるものを拝見しました。
でも、この橋をわたることは、国の重要文化財と言う事で許されていませんでした。(残念-_-;)

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奥にひかえる「随神門」と、重ねて撮ってみました。
普通に撮れました。自分的には「おぉ~。」と言う画になるかもと思いましたが、
普通に写ったので、この橋と門に仕掛けは無いようです(・_・;)



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「随神門」と空です。
この日は、すがすがしい青雲空で、この神橋のある池では、多くの家族がザリガニ釣りを楽しんでいました。
家族でザリガニ釣りとは、岡崎の親子関係の良さが伝わってきます。
三河武士の結束の固さが、今も受け継がれている証かもしれません。
それにしても、この「随神門」は、よく栄えます。
周りに建物や山とか木々が少ないからですが、これは何か意図があってのことなのか?








拝殿と、青雲空です。
写真では、分かりにくいかもしれませんが、賽銭箱の位置から拝殿までかなりの距離が有ります。
多分、伊勢神宮と同じくらいの距離が有ります。
これは、御祭神が応神天皇、仲哀天皇、神功皇后、東照大権現(徳川家康公)と言う豪華絢爛なメンバーだからかな?



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次は、拝殿のズーム写真です。
綺麗な本殿です。

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現代の建物かな?と思いきや、HPに↓

「本殿は慶長年間の家康公の造営である。また完工は寛永13年(1636)であり、日光東照宮もこの年に改修 完工している。」

と、ありました!
300数十年お時を経ても、こんなに綺麗な状態を保っているなんて・・・凄い!
やはり、現代に無い「業」と言うやつでしょうか?
修復はされてると思いますが、それにしても凄いです(・_・;)





最後は「さざれ石」です。

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長きにわたって塊となる「さざれ石」のような歴史ある神社と言う意味で置かれているのか?
それとも、この宮の神仏の加護・ご利益が、末永く参拝者に有るようにと言う意味か?



国歌「君が代」で、有名な「さざれ石」だが、その意味は各神社の由来や御祭神によって比喩が異なるのかも・・・しれない。


さざれ石 ウィキペディア

日本国歌「君が代」の歌詞に歌われることで、その名が知られている。ただし、歌詞中のさざれ石(細石)は文字通り、細かい石・小石の意であり、それらの小石が巌(いわお)となり、さらにその上に苔が生えるまでの過程が、非常に長い年月を表す比喩として用いられている。




                     END
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府八幡宮

今回は、静岡県磐田市にある「府八幡宮」の紹介です。
この磐田市は、浜松とは天竜川を挟んだ隣にある町で、神社仏閣も多く点在している探検しがいのある町です(^_^;)


では、府八幡宮の紹介です。


019_20120618080520.jpg


まずは、随身門です。
と、思いきや、これは楼門(ろうもん)とあります。
でも、一階部分に随身様が安置されています。
これは、どういうことか???
で、得意のウィキぺディアで調べてみると

随身門(ずいじんもん)とは。意味や解説。随身の姿の守護神像を左右に安置した神社 の門。
楼門(ろうもん). 門の一種で、二階建てで上部に屋根をもつもの。

とあります。
と言うことは、この府八幡の門は、随身門と楼門の混合という事なのか?
でも、磐田市のHPでは、楼門と紹介されているので、楼門で良いようだけど・・・。
ちょっと、腑に落ちなかったので、色々調べてみた。
で、結果はどうも混合で良いようだ。
簡単に言うと時代の流れで様式が変わったと言う感じで良いと思う。
やはり神社仏閣にも流行り廃りがあるのだろう(-_-;)

まぁ。それはさておき随身門&楼門です。

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写真をクリックすると大きな画面に切り替わります。


どうです?
堂々とした門です。これでは心に邪神(邪心)を持ってこの門を通る事は出来ませんね。
この門の建造は江戸時代とありました。ほんと当時の人々は良い仕事をします。



では、参拝させて頂きましょう。

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と、思いきや、これは???

「茅の輪くぐり」じゃないですか!

そう言えば、先週A氏が「茅の輪くぐり」のこと話していました。
6月と12月にあると・・・。
でも、自分は毎月と言うか毎週どこかしらに参拝しているので、ここ数年はどこかしらの神社で、
この大祓(おおはらえ)をしてもらっている(^_^;)
で、今年は、こちら府八幡様と言う事らしい。(去年は確か賀久留神社だったと思う)
これも何かの縁、ありがたく通らさせて頂く事にした(^_^)/

ウィキペディア 茅の輪くぐり
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%A5%93


では、いよいよ本殿です。

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この厳かで凛とした雰囲気、良いですねぇ。
社内も実に清らかな波動で包まれており、自分には少し強いくらいのエネルギーが流れている感じがします。
拝殿内も綺麗に掃除されており、人が毎日掃き清めている感じがします。
やはり、神社の拝殿も人が建てた建物ですから、人の気が行き来する事は必要なんですね。
また、この簡素な造りも良いですね。
でも、この拝殿は、奥行きがあり拝殿から本殿まで20mくらいの距離があります。

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で、神社の醍醐味の一つは、本殿の裏からのアングルです。
お寺には無い造りですから、神社にしかない楽しみの一つです(^_^;)

で。太古の昔、神社自体が聖域で、神官と巫女と一部の人間しか入れない場所でした。
更に本殿内は、もっとも神聖な場所。
おいそれと近寄ることなどできません。
周りは、木々に囲まれ神事の内容は、一般人に知られないように行われていたんです。
が、現代は神の在り方も変わり、祭りはにぎやかで盛大に執り行われます。
これも時代の流れと言うやつでしょう。
秘密の神事もほとんど無くなり、庶民の楽しみとしての祭だけが残っている状態です。

まぁ。そのおかげで、こうして写真に撮ることが出来きるので、ありがたいことではありますが・・・(^_^;)




で、お次は、こちら↓
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事任八幡宮にあった石のサークル?です。
石版には、祓所(はらいしょ?)とあります。
やはり、なにかしらの儀式をする場所という事で間違いないようです。
でも、何を祓うのか?なぜ八角形で石の枠組みなのか?謎は深まるばかりです(-_-;)


では、次です。

拝殿裏手の境内社です。

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写真、奥から高良社・武内社・山神社・山口社
真ん中は、水尾社、稲荷社、住吉社
手前が、狩野社、三保社、皇子社・神明社、小笠社・金山社、宇治社
と、ありました。
そうそうたるメンバーだという事しか分かりませんが、これだけお迎え出来る神社という事ですから、
当時の神官の力と歴史の長さを感じます。


そして、最後は東照宮です。

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事任様にも五社の一柱として祀られていましたが、八幡宮と東照様の関係は深いようです。
と言うか、家康公自身が神仏を大切にしていたようで、戦の勝利祈願は欠かさず行っていたようですし、
神社仏閣(神仏)に危うい時に助けられたことも多いようです。

ただ、こちらの八幡様は東照宮にしては、少し簡素ですね。
でもって「みなもとのあそんのみこと」と、お祀りしています。
で、調べてみたのですが、この名前にではノーヒットでした。
もしご存じの方がおられましたら、ご一報ください(^_^;)


と、東照様の紹介が出来たところで、今回の府八幡宮の紹介を終わります。
で。今回、磐田市を訪問してみて、川ひとつ挟むだけで、街全体の波動がまったく違うことに驚きました。
当時の日本は今の町と言うのが、一つの国として機能していたせいだと思いますが、いまだこんなに色濃く残っているとは、本当に驚きでした。
と言うか、今までも多少は感じていたのですが、今回は特に強く感じたのが不思議でした。


             END


で、恒例のおまけコーナー


今回は、瓦です。

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武将の瓦です。
家康公を初め多く武将達から勝利祈願を受けていたことの証でしょうか?
それにしても可愛らしい武将の瓦に、思わず微笑んでしまいました(^_^;)

追記 金峯山金剛蔵王権現 (再々編集 ^_^;) 

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金峯山金剛蔵王権現の追記です(^_^;) 

と言うのは、今回、金峯山で金剛蔵王権現を参拝したことで、久しぶりに「印と真言」への興味が復活!
昔買った「印と真言」の本を引っ張り出し開いてみたら、蔵王権現の真言がありまして、
そこに金峯山にて役行者が金剛い蔵王権現を感得(かんとく)した時のエピソードが書かれていたので、
紹介したいと思い追記します(^_^;)




では、行きます!



まず役行者が金峯山にて主尊・守護神を感得する為に祈祷した時、最初に主尊を請い祈願し現れたのは、なんと釈迦如来で次に千手観音ついで弥勒菩薩だったと言う。
しかし、役行者は、どの尊も守護神(仏)とするにはパワーが足りないと感じたと言うのだ!(凄い!)

それにしても、守護神を求めて祈って、釈迦如来・千手観音・弥勒菩薩と現れたと言うのも凄いが、
パワー不足と言うところのにも驚かされる(・_・;)
流石!スーパースター小角だ!と思わせるピソードです(・_・;)

で、パワーが足らないと感じると、更に強力な守護神を求め祈請(きしょう)し、
感得したのが、蔵王権現だと言うのである。

いたったいアンタは何様だと、思わず突っ込みたくなるが、
なぜ、このような流れになったのか・・・?
そして、小角ほどの能力者が如来、観音、菩薩以上の強力な守護神を欲しがった理由とはなんなのか?

で。この謎を解明する為、想像力をフル稼働させ考えてみた(あくまで私的な解明だが・・・^_^;)


まず。仏界の仏達は、役行者の力を認めいて、何のために役行者が守護神を欲しがるのか感じ取っていた。
で、初めは、既存の如来・観音・菩薩を遣わしたのだが。
当然の様に納得しない役行者に、その3仏?をまとめて創った、金剛蔵王権現を出現させたのではないかと思う。


と言うのも、仏の世界の方でも、今回の行者の祈りは並みではないと感じたようだ。(?)

で、その祈りとは金峯山寺のHPでは、

「今から1300有余年前、金峯山山上ヶ岳に役行者が一千日の修行に入り、感得された権現仏であります。
 権現とは権(仮り)に現われるという意味で、
 本地仏の釈迦如来(過去世)、千手観音(現在世)、弥勒菩薩(未来世)が権化されて、
 過去・現在・未来の三世にわたる衆生の救済を誓願して出現されました。
 また金剛蔵王とは、金剛界と胎蔵界を統べるという意味も表しています。」

と解説している。

で、気になるのが、ここの部分↓

「過去・現在・未来の三世にわたる衆生の救済」

金剛


なぜ

「過去・現在・未来の三世にわたる衆生の救済」

が必要なのか?

憶測と言うか推測で申し訳ないが、自分が思うに、
この役行者の生きた飛鳥~平安時代と言うのは我々が、本やTVで見聞きする100倍も荒れ果て、混乱し、尋常でない権力優先(?)の世界で、階級の厳しいガチガチの権力国家!庶民など奴隷同然ような時代です。

当然、貴族の生活は、自分たち中心。
庶民のことなどお構いなし。

で。このように人の心が乱れたのは過去に原因がある、
ならば、まずは過去を癒し、
現在、現状の悲惨な状態を一つにまとめ人の欲を浄化し、
未来は永劫、平和な世であるよう祈願しなければと考えたのだと思うんです。

兎に角、人々、特に貴族をはじめ武士、侍や御仏に使える坊主までも、武士は己の為に権力と財力を得るためだけに戦に明け暮れ、(もちろん全ての人ではないが)
この波乱を利用し不安をあおり祈って戦えと迫る僧侶達が現れ、
農民達は、ボロボロの着物にフンドシと竹槍で、甲冑を着た侍に挑んだのである。
もちろん侍の武器は刀・槍・弓矢など、人を殺す為にだけ作られた様々武器を相手に・・・。


繰り返すが、高僧と言われる特権階級にまみれた僧達、貴族達は、農民、庶民を操り侍達と戦わせ。
また逆に、侍をわずかな土地や金銭で、そそのかしては、世中を戦乱の渦へと落していったのです。
自分達の力と富と繁栄の為に・・・。


だが、もちろん、こんな輩ばかりではない。
正義と慈愛を持った僧侶、侍、一国の主がいた事にはいたが、こういう輩と戦おうにも数が違い過ぎた。
圧倒的に、欲にまみれた存在の数が多かったのだ。
     
しかし、残念ながら今もその状況はあまり変わっていない・・・。
数百年経った今ですら、我々人類は、目に見えない階級にしがみ付き、実体の無い権力に翻弄されている。




で。話を戻して、役行者の真の志とは?

仏の力を借り、その大威力(だいいりき)を持って、衆生を救い時代に変革を与えていたのではないかと思う。
もちろん、時間がかかることは解っていた。
だから、この戦乱に終止符打てるだけの人材が現れてくれるように祈願したのだとも思う。
まずは、この戦乱期に産れ、衆生の苦しみを知り。
この荒れた世の中の波動を肌で感じて、正気の志を心に強く持っ者が現れるのを!

また、仏の力を借りるだけでなく、修験であった小角は、全ての物(存在)に意思があることを知っていた。
だから自然神や精霊を呼び集めることができ、その力の根源である地球自身からも力を得て、自由に空を駆け巡り、その力を皆に知らしめ、この世は眼で観えるモノだけではなく、不思議な力の動きが有って構成されているのだと、教えようとしていたのかもしれない。

更に、山岳修行で弟子たちと山々を駆け巡り、自然や動物はもちろん、自然神と精霊の空間を守り、村など山に近い場所には神社と言う結界装置を設置し、これ以上人々に自然を破壊させないようにしたのかもしれない。

と言うのも、今も昔も、自然から資源を捕ることは変わりないからです。

映画「もののけ姫」では、タタラバ(鉄を作る作業場)と言うのは、山から木を伐り燃やし、動物たちの生活までも脅かすとして、人間とデイタラボッチ(自然神)と山の神と恐れられる霊獣達との戦いを、生ナマしく画いています。

そしてこの映画の見所は、基本的に恨みなどの感情を持たない獣達ですら、人間達を恨みたくなるのでは?と思いたくなくらい傍若無人な人間の有り様を、リアルに表現し当時の戦の悲惨さ、人間の浅ましさまで描かれています。(宮崎駿さんは、本当に凄い!)






で、この世には、色んな世界(次元)が有ります。

人間界が有るなら、動物界、植物界、昆虫界、微生物界、ウィルス界などの人間が感じられるモノ全てに「界」があり、
更に、五感では感じられない、神界、仏界、霊界など人智を超えた世界もあります。

しかし、五感が役に立たない世界を感じる方法があります。

そう。第六の感覚です。

この第六感(霊感)を使って感じる方法ですが、能力の高い行者達は、この第六感をフルに生かし、心の眼である「額の眼」を第三眼を開き、現実では感知できない様々な存在を感知、感得し、祈願をして、力をもらい。
その神秘の力を使って、秘術を研究開発し乱世の世に貢献していたと思います。

が。しかし、貴族た達は、それを快く思う訳もなく、自分達の為だけに使えと金と武力で彼らの力を我が物にしようと画策し、自分達に従わないものを排除しようとするでしょう。
実際に小角は、伊豆に島流しになっています。

で。この↓伝説が残るわけですが、こ伝説の信憑性は?です。
ウィキペディアhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%B9%E5%B0%8F%E8%A7%92

なぜならは、全ては、時の権力者の都合の良いように改ざんされるからです。


で、役行者は、強欲な貴族達から「真の修験者」を守ろうと、強力な守護神を求めたのではないかと思うんです。

真の修験者は、衆生(庶民)の救済に重きをおき活動することが自分達の使命だと知っています。
今でも「護摩供養」「護摩焚き」などの法を使い、人々の救済にをしている真の修験者、僧侶は多く存在します。


で、この真の修験者、僧侶に対し、貴族側に寝返った修験者や僧侶達との戦いにもなるわけです。
そして、そういう修験者、僧侶達との戦いは、呪術・秘術・魔術的な戦いです。
強力な守護神を真の修験者や僧侶達に憑ける必要が有ると感じたのだとも思います。

また、役行者は真の修験者や僧侶達を、貴族達の心に住む邪鬼や悪霊から守る為にも必要だったとも感じます。

兎に角、人の発する「念」は、似た存在を惹きつけます。
そして、「類は類」の法則で集まり、組織的なモノを形成します。
簡単に悪の世界とでも言いましょうか。
で。この悪の念は魑魅魍魎(ちみもうりょう)好むエネルギーですから、平安時代に百鬼夜行とは、こうした人々の「念」が生みだした存在なのかも知れません。


だからこそ、小角は、神仏界から強力な守護神として、この釈迦如来・千手観音・弥勒菩薩の三仏が融合した金剛蔵王権現を出現させ、衆生の救済に小角を選び、その役目を託したのだと思います。

そして、時代は流れて戦国時代に突入していくのですが、戦国時代には、この乱世をに終止符を打つべく武将が3人現れます。

織田信長 豊臣秀吉 徳川家康です。

信長公に関しては、比叡山焼き打ちにより仏敵とされましたが、理由なくして寺など焼くはずが有りません。
以外に信長は、信心深いと自分は思っています。
と言うのも、桶狭間の時には、熱田神宮に戦勝祈願しています。
これをパフォーマンスと言う人もいますが、自分はそうは思いません。
で、比叡山焼き討ちですが、歴史では、浅井、朝倉に比叡山が味方したことが、その理由とあります。
が、しかし、それ以上の理由もあったはず、第一に仏に仕える身で、人を殺す戦に加担すると言うのが、自分には解せません。
それは、仏に身を委ねた人間が、人を殺す戦に参戦するわけないからです。
また、神仏の名を利用し、人々を戦乱の世にどっぷり浸らせて、更なる恨みを生んで悪霊を増やすことに気が付かないなんて、そんなの真の僧侶ではありません。
と言う信念が、信長にあったような気がします。

そして、その後に秀吉、家康と続きますが、話が長くなるのでこの辺で〆ます。

で、この三人、もしかすると仏界が人界に遣わした「権現」かも・・・(^_^;)


因みに、吉野町のHPには
http://www.sakura.yoshino.jp/yoshinoyama.htm

「秀吉はこの地に、徳川家康、宇喜多秀家、前田利家、伊達政宗ら錚々たる武将をはじめ、茶人、連歌師たちを伴 い、総勢5千人の供ぞろえで吉野山を訪れました。」

と、あります。
でも、自分の個人的な憶測では、花見は口実、真の目的は天下統一後の日本の在り方を話し合う為だったと思いたい(^_^;)
また、この霊山の力を、徳川家康は知っていたようにも感じます。
と、言うのも

「慶長19年(1624年)、徳川家康の命により、天台宗の僧である天海が金峯山寺の学頭になり、金峯山は天台宗 (日光輪王寺)の傘下に置かれることとなった」

とあります。

で。この日光輪王寺ウィキペディアでは、

「輪王寺(りんのうじ)は、栃木県日光市にある寺院で、天台宗の門跡寺院である。」

と、紹介している。
そう、後の日光東照宮(家康公のお墓)のおかれる地なのだ!
これは、絶対に何か有ると思うのだが、これ以上の詮索はやめておきます(・_・;)


                
               
               END






と、言いつつ追記の追記(^_^;)

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修験道は、明治政府により禁止令を発せられ、一時その活動を制限されました。
その時、日本には17万人の修験者がいたそうです。
因みに当時の日本の人口が3,300万人に対し17万人の修験者と言う事は、人口の約200分の一が修験者と言うんです。凄いですね(・_・;)


しかし、なぜ明治政府が修験道を禁止したのか?

神社の縮小や神官・神主が不在の神社増幅にも関係ありそう・・・。

だが、こちらも、これ以上の詮索は・・・やめておきます(・_・;)



                     END

金峯山寺と秘仏、金剛蔵王権現

今回は、奈良の金峯山寺です。


先週、神秘仲間のA氏に「奈良にある金峯山寺の秘仏、金剛蔵王大権現(こんごうざおうごんげん)の御開帳が6月7日までだからから今度の日曜(6月3日)見に行こう!」
と、誘われ肝心の秘仏も金峯山寺のこともあまりよく知らぬまま、6月3日の早朝4時、車にて浜松→奈良の強行日帰り旅行に行って来ました。




では、行きます。



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※写真をクリックすると大きな画面になります。


まず最初は、金峯山寺の総門の黒門です。
この門は、大変格式?が高く、たとえ公方様や将軍でさえも輿を降り、馬を下りて通ったと伝えられています。


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そして、お次が仁王門!
デカイです!迫力があり過ぎです!
仁王様の彫りも良いです。
特に足の甲の血管と、踏ん張る足の指に見とれてしまいました(^_^;)
グッと浮き出た血管が躍動感を感じさせるんです。
日本の匠の技を、ここに見ました(^_^)



では、いよいよ本堂です!

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こちらが金峯山寺本堂です。
こちらもデカイです。迫力がありますね!
で。一説には、室町時代に建てられた、この蔵王堂は、東大寺大仏殿につぐ大きさだと、言われていますからこのデカさは並みではないんです。

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別角度からの本堂です。
それにしてもこの大きさは凄いですよね。
でも、なぜこんなに多きな本殿が必要だったのかと言うと、
ご本尊の蔵王権現の大きさが約7mもあるんです。
しかもこの権現様は三体安置されています。
でも、残念ながらご本尊の撮影はNG(-_-;)

なので、こちら↓金剛蔵王大権現ネット検索の画像ですが、迫力そのままですので、ご覧下さい(^_^;)

金剛 蔵王



で、この金剛蔵王大権現が三体あるかと言うのはこちら↓ウィキペディアの解説で・・・。

蔵王権現は、役小角(えんのおづぬ、7世紀頃の山岳修験行者)が、吉野の金峯山で修業中に示現したという伝承がある。釈迦如来、千手観音、弥勒菩薩の三尊の合体したものとされ、今でも吉野山の蔵王堂には互いにほとんど同じ姿をした3体の蔵王権現像が並んで本尊として祀られている。

だ、そうで、しかも日本固有の仏さまで、更にウィキペディアの解説では↓

蔵王権現(ざおうごんげん)は、日本仏教における信仰対象の1つ。インドに起源を持たない日本独自の仏で、奈良県吉野町の金峯山寺本堂(蔵王堂)の本尊として知られる。権現とは「権(かり)の姿で現れた神仏」の意。

と、されています。
で、この解説の中で、気になる部分があります。
「日本独自の仏」と言う部分です。ここ非常に気になります。

と言うか、この金峯山寺のある吉野山自体がとても気になります。
とても簡単に書くことは出来ないので、後はウィキペディアの吉野山に委ねます
             ↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E9%87%8E%E5%B1%B1


                 (^_^;)


で、この本堂ですが、造りがとてもユニークな部分がありました。
それは、建物を支える巨木の柱が面白いんです。
と言うのも、柱の木は皮を剥いで枝を落としたままで、他の加工がしてないんです。
ですから、柱の上を見ると曲がったまま柱に使われているのが分かります。
でも、これって凄い技術だと思うんですよ。
建物を支える柱を木の形そのままで使うなんて、ホント大胆でオシャレだなぁ~と感じました。


で、ご本尊の蔵王権現は、なんとも鮮やかな青で、塗られています。
なんでも、この青色の原料はラピスラズリだそうで、当時は金よりも高価な価格で取引されていたそうです。
それにしても、いったい何キロのラピスを使ったのか?
そして、なぜラピスの青なのか?
ここに役行者の秘術的要素や妖術的魔術を感じます。


そして、蔵王権現の見せ方も良いんです。
三体の蔵王権現の前には、大きな扉が一体づつに設けられており、拝む場合は一体一体の前に行かなければ権現全体を拝むことが出来ません。
で、その拝む位置は、権現から2mあるかくらいの位置で、7m近いの権現像を下から見上げるんです。
更に権現像には遠近法が用いられており、下から見た人は7m以上に感じられよう工夫されていて、権現の迫力に圧倒され後ろでは多くの行者が真言を唱えていれば、ご利益が無い訳が無い!と感じた事でしょう。
そして、この本殿は、直接光が権現に当たらない構造になってるので、当時は蝋燭(ろうそく)または護摩供養の炎の光で拝む事になり、揺らめく炎に権現がまるで生きているように見えたかもしれません。

兎に角、当時の人々の創意工夫は凄すぎます。
自然の仕組みや人間の脳の構造?や癖を理解し、デザインと視覚効果を組み立てる創造力は、
並みはずれていると思います。
で。結果的に、その効果は人々を魅了し、見る者を神秘の世界に引き込みます。

また、こういう技術は神社仏閣に限らず、強固なお城などにも見られます。

簡単に言うと。
神社仏閣では華やかで雅な世界や格式や霊験と、神秘の波動を創りだして人々の心を魅了し導きます。
そして、逆にお城などでは、敵に戦意を喪失させるよう、権力と財力と人力の強大なパワーを敵の心に植えつけます。
この当時の日本人の感性は、一体何が根源なのでしょう?

自分が、思うに

「苦しい時代を生き抜くと言う人々の本能が、その根源のように感じます。」

また、心から平和を願う、真の神官や僧侶の人々を思う「思いやりの心」や「純粋な愛」が神仏を創りだし、人々の心の闇を浄化しようとする力なのかもしれません。



最後に、今回、運良く、この蔵王権現を拝観できたことに感謝いたします。
そして、この素晴らしい秘仏にめぐり合わせてくれた、A氏に感謝です。


           
              合掌m(-_-)m




おまけコーナー


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こちらの写真は、本堂から下った所にある、脳天神社に向かう参道です。
木々の活き活きとしたエネルギーに満ちた素晴らしい参道でした(^_^;)
途中、修験道には欠かせない不動明王、役行者が祀られており、当時の修験者の思いを今に引き継ぐ素晴らしい場所だという事を思いしらされました。

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また、こういう場所の木は、その場のエネルギーによりこうしてネジれているので、こういう木を見つけたら、気を感じてみるのも良いです。

手かざしも良いですが、ゆっくりと深く深呼吸しその場の波動を吸収するだけでも、エネルギーを取り込むことが出来るので、試してみて下さい。
体が軽くなったり、心が清々しさを感じると思います。


以上で、奈良、金峯山寺と金剛蔵王大権現の紹介を終了します。


              
                 合掌(-_-)

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事任八幡宮 (少し編集(^_^;)

今回は、久しぶりの事任八幡宮へ、神秘仲間のA氏と参拝して来ました。

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※写真をクリックすると、大きな画面で見る事ができます。

まずは、いきなり鳥居と拝殿です。
神社の管理の丁寧さが、よくわかります。
この神社を大切にする人々の気持ちや心が、この神社の波動を清らかにすることに、一役買っていると感じました。

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拝殿です。
神社の写真を撮る時、この角度の拝殿が好きです。
なんと言うか、屋根の角っこの微妙に反ってる部分が、良いんです(^_^;)


で、今回一番紹介したいのは、こちら↓

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拝殿の左側にある「五社神社」です。

「五社神社」

浜松にもありますが、浜松の五社様とは、まったく違います。

と言うのも「五社神社」とは、社名とは違い、神様をお祀りしている「数」をさしているからです。

なので、「三社神社」もありますし、「六社神社」とか「六所神社」もあります。
また、神様を「柱」で数える場合もあり「八柱神社」と言うのもあります。

で。事任様の五社神社の御祭神は

八意思兼神 天照大神 大國主神 火迦具土神 東照大權現

と、なっています。

と、ここで大國主様に注目です。

言わずと知れた大國主様は大黒様のことです。
で、大黒様と言えば、「因幡の白ウサギ」の話が有名です。

で、発見しました。
ウサギさんです!

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このウサギさんは、拝殿に向かって左手にある八角形の石のサークル?の左手前にひっそりと厳か~に鎮座?しています。

で、このサークル?は、多分何かの儀式の為のモノと思うのですが、ウサギが拝殿を向いて鎮座している場所というか、位置にかなりの意味が含まれていると思います。
で、位置ですが八卦で言うところの「坤」と言う位置にウサギさんはいます。
でも、正確に言うと「坤」と「離」の中間くらいなんで、なんか八卦だけで解釈するのは無理があるように感じます。
で、神社などでこういうモノを発見すると、神道・仏教の「神秘技の深さ」を感じるからやめられませんし、たまりません(^_^;)

と、行っても今回発見したのは、A氏ですが・・・・・(-_-;)

で、このA氏ですが、自分とは感覚の違うところが徐々に明らかになるにつれ、
お互いの感覚、感想を言い合うことで、波動の捉え方の幅が広がりとても良い刺激が得られています。

でも、こういうケースは稀で、霊能が開いた人や、サイキック系の人または、霊能好きではまっている系の人は、
出会って初めの頃は良いのですが、だんだん「自」と「我」が出てくるので、要・注意です。
これは、前者は「自身の能力の過信」で、自分の能力が一番と言う「我」強く作用するから。
    後者の「好き系の人」は最初は謙虚ですが「極度の思い込み」から自分の方が優れていると言う「自」が出てくるのが原因で、関係に序列が出てきたりします。(私の方が上!みたいな(^_^;)

ですから、いくら能力があっても、神秘が好きでも、能力の差など気にせずお互いを高め合うように心掛け、お互いの意見、感覚を尊重し、知識に押し付け、パワスポ巡りの強要、霊的不安をあおる言動など、辛い付き合いになることに注意して付き合することが必要です。
で、こういう感じになったら、即!離れて下さい。
ハマっている人は、執着や不安を抱きかかえているので、いつまでもダラダラと流され付き合うと、離れてくれなくります。
そして、こういう人は、「霊が憑く」のと同じで、相手の迷惑など考えず、
自分の思いをなし遂げる為ならいつまでも離れないので厄介です。
また、例え離れても、不の想念は送って来ますので、逆の愛の想念を送り、更に相手の幸せを祈って、相手の不の想念を浄化しましょう。
間違っても仕返し怒りの念などを送ったり、攻撃的な考を思い浮かべて抵抗しないことが大切です。

また、こういう人は、人と比べたりすることが、好きです。
人を批評、批判することで、自分自身のネガティブな面を解消しようとすんです。
しかも無意識で。
しかし、結果的には自身の波動のレベルを下げ、繋がる存在のレベルも落し、
不安定な精神状態におちいります。
そして、不安な心の状態をつくりだします。
で。不安な状態から逃れたいと、色々な方法を探しますが、ネガティブな状態では、思考は更にネガティブな事しか思いつかせません。
そして、なんでも他人の仕業にするんです。

で、常に敵(攻撃する相手)が必要となるんです。

自分をこういう状態にしたのは、他人の仕業と思いたいが為に。

そこで、大切なのは、こういう相手に会ったら即波動を変える事が大切です。

まずは、相手と同調していた部分を探し、否定的で批判的な部分を思い出して、そんな状態だった自分を理解し、そんな自分を手放します。
こうする事で、だんだん相手は離れて行きます。

と言うのは、だいたいこうなると波動に変化が起き、相手の波動と周波数が変わってきますから、相手の執着も長続きしなくなり自然に会えなくなたっりします。
でも。人によっては、ハッキリとお付き合いを拒否しなければならない場合もありますので、
そういう時は、正直に気持ちを伝えると良いです。
例えば、

「自分の時間を持ちたいので、しばらく会えません」

とか。

「あなたの思う事が、私の思う事と同じだとはかぎりません。」

と言う様に、本心からでる言葉だと感じる言葉で伝えます。



で、こういう「能力」に依存している人を見分ける方法は、
能力に「特化する」または「した」と言う人は、人から「認められたい」と言う強い願望を持っています。
そして、言葉の端はしに、自分をアピールする内容が含まれていますから、意外と見分けは付きます。
また、自賛的な言葉も多いですから、たいがいは不快感を感じますから、この不快感を無視しないで下さい。

でも、「認められる」と言うのは、願うものでなく他者が自然に感じる事だと思うんです。
だから、「認められたい」と願うこと自体が歪んでいます。
自分は、「人より優れている」「人とは違う」、と言う事は「上からモノ見る」と言う事になります。
この人を見下した態度が、そもそも自身の精神レベルを確実に下げ、素直に物事を見られなくします。
更にモノのを見る範囲も狭め、聞く言葉も自分とって良い言葉しか聞かなくなります
これは、自分の考えが一番と言う「我」が、出てくる事が原因です。

また自分がこうなっていないかも、たまにチェックしましょう。





と、余談が出たところで(^_^;)ウサギさんに戻ります。


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で、このウサギさん。
上から見ると・・・分かります?
写真の中ほどに黒い点のように写っています。
五社の祠を、ほぼ南西から見守っています。
これは、何を意図して置かれたのか?
分かる方が、おられましたらご一報くださいm(_ _)m


お次は、お稲荷様です。

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神社ですので、ウカノミタマ様です。
神道系のお稲荷様は、基本。伏見稲荷を総本山としています。
ウカノミタマ様は自分は特に好きな神様で、この名の響きに高貴な波動を感じます。
ちなみに「高貴」とは、「高く尊ぶ」=「尊ぶ事を重く心においているいる人」と、自分は解釈しています。
高価な服などを身にまとっているだけの人の事では無と言う事です。


では、最後は、事任八幡宮の顔「大楠」です。

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良いですねぇ~。
今回は、たまたま比較対象になる感じで、鳥居の下に人が写っていました。

人→鳥居→大楠と見ていくと、大きさが分かると思います。
そして、この大きな体を支える為に、地下では「根」縦横に走り他の木々と繋がってこの地を守っています。
見えるモノと、見えないモノの存在が交差し合って支え合っていると言う事ですね^_^



                -END-



おまけコーナー。

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今回の参拝前に、手水で清めていると小さな「福の神」が出迎えてくれました。
で、この後、引いたおみくじは、やはり「大吉」!
内容も大変良い事が書かれていて、これは何か良い事がある前触れかも・・・・・(^_^;)
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kodama

Author:kodama
思った事を、感じたままに書いていますので、言葉に語弊を感じるかもしれませんが、
あらかじめご了承下さい。

※書いた記事は、途中で編集することが、多々あります(・_・;)

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