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豊川稲荷のパワー

先日、波動感覚&霊的感覚のするどいAさんと、豊川稲荷に行って来ました。
Aさんとは、時折二人で「気になる神社巡り」をしているのですが、
豊川稲荷は近くを通っても、いつもスルーしていました。
と、言うのもAさんは、お稲荷様が苦手という事で、どしても足が向かないいう事でしたが、
今回は、豊川に気になる神社があるというので、
それでは今回は頑張って豊川稲荷にも参拝しようという事で、実現しました。
ちなみに、この↑気なる神社は、もう一度参拝した時にご紹介したいと思います。


では、豊川稲荷です。

013.jpg

もう、何度か紹介していますが、この本殿の大屋根は何度見ても良いんですよ。

本当に毎回来るたびに圧倒されます。

で、この大屋根の迫力を感じる
自分の好きなポイントは、一の鳥居をくぐり二の鳥居に近づくにつれての大屋根が一番好きです。
(※写真は二の鳥居を過ぎてすぐのものです)




で、なぜ今回タイトルが「豊川稲荷のパワー」かと言いますと、この日の豊川稲荷は本当にパワフルでして、
Aさんも自分も「このパワーはなんだろうね?」と、参拝している間に何度も言い合っていました。
自分の感覚的には、歩いていると時折、
凄くうすぅ~いしなやかなベール?みたいなものを感じたり、
木々や拝殿奥に寺社なので眷属らしき存在や精霊のざわめきみたいなものを感じました。

012.jpg


しかし、残念ながらのパワーがどこから出ているのかは解らずじまいでしたが、

Aさんが

「この日門前の商店街でイベント行われたことが関係しているではないか」

と言うのがキーの様な気がしました。


あと、この日の「奥の院」は、少々にぎやかだった印象を受けました。

019.jpg

先ほども書きましたが。
特に奥の院の拝殿の奥がにぎやかで、眷属達か寺社内の精霊のような感じがしました。

写真から何か感じられた方は、ご一報ください(^_^;)


最後は、大黒様と恵比須様です。


017.jpg
018.jpg


恵比須様は撫でられすぎて、ところどころが凹んでいます。
これも、霊験あるお寺の証ですね。

が、それにしても人手でも長年さすり続けること、
こんなに凹むのですね(^_^;)
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 ※「やっぱり編集(^_^;)」   自分が不幸と思っているあいだは・・・

今回のテーマは、 自分が不幸と思っているあいだは・・・です。

書いてるうちに色々と出てきてしまい、編集に時間がかかりましたが、なんとかまとめてみました(^_^;)
少し偉そうなテーマですが、自分自身の経験から得たことですので、参考になるかは分かりませんので、
これだけはご了承下さいm(_ _)m

では、行きます。

DSCN0293.jpg




-----------------[自分が不幸と思っているあいだは・・・]---------------------------------


自分が不幸だとか、運がないと思っている間は、この「不」の状況は変わらない。

と。これは、多くの精神世界など本に書いてある。
で。どうも人は、嫌だ嫌だと言いながら、この「不」の状況を好んでいるらしい?
と言うのも、潜在意識の仕業だとか、そうでないとかも読んだ気がする。


でも。自分は、この「自分が好んでいる」と言うことが、なかなか理解できないでいた。

しかし、「この世の「神秘」や「波動」を感じ触れ、それに付随した本から再び学び初めると、
少しづつ「理解」が出来るようになってきた。

で。この「理解」に行きついた理由?はと言うと、
各神秘系本や精神世界系本やサイトが与えてくれたヒントが大きかった。

その中でも、「自分自身を客観的に観る(観察)」という行為がとても大切だと感じた。

これは、自分自身の過去の思考・言動・行動を、できる限り客観的に分析するという事だ。

人は、自分の言動・行動を正当化したがる。
これは、自分が「正しくありたい」「間違っていない」という「自己防衛本能」が引き起こす衝動だ。
エスカレートすると「誰よりも素敵でいたい」「人気者でいたい」と言う「我欲」が目覚める。
で、更にエスカレートしていくと、自分より優れていると感じる人を攻撃しだすのである。
これも、自分自身が周囲の人間に軽く見られたくないと言う「不安」からくる衝動だ。
そう、「不安」こそがこの自己防衛本能の根源でありエネルギーとも言えるのである。

で。これは、余談だが、この「不安」を根源とした症状は、
霊能系やサイキック系の人にも強く表れる傾向らしいのだ。
これは、能力を付けた?理由が人からの尊敬、賛美を目的としいた場合に多い。
確かに、自分も初めに、この霊的感覚を感じたときは「これは凄いぞ」
と。思ったが、人を視ているうちに、かなりキツイ事ぞこれはと思うようになってきた。
自分は、たいてい霊関係で無く、ほとんどが生きてる人を視るのだが、
人の波動の歪みは本当に酷いと感じる時があるからだ。
ほんとに酷すぎると、何も伝えられない時がある。これが一番辛い。
この辛さを感じていないサイキッカーは自分的には信用できないと感じている。

だから、私は凄いんです的な事を何気に感じる人には、気を付けてほしいです。

あと。、私自身、この霊能やサイキックは自身の努力で付くと思っていないし、
誰でも備えている、言わば標準機能なんので、まったく凄さを感じない。(ただしレベルの違いは別です)
これを自分の能力と思い込んだり、凄いことができるんだと思い込んでる人には、
悲しい末路が待っていると思うので、心底気を付けれほしい。
あと、更に余談になるが、神仏から自分が特別視されていると思い込むのも、
この手の人々に多くみられる傾向なので。思い当たる方は気を付けてほしい。

では、話を戻します。

そして、更にエスカレートすると、自分以外の存在を否定的に観はじめる。
相手が自分の都合に合っている時は良いが、その時の都合や状況が悪くなると「自己防衛本能」が、その相手を攻撃し始める。

例えば。

「何故こんなにしてあげたのに、あいつは・・・」

と、言うように過去の出来事から「見返りを求め」
相手を自分の意のままに操作し始める。

また。過剰な例として。

自分の利益を隠して、相手を自身の計画に引き込む。
その時の都合に合わせてメンバーを選ぶ。
その場に、いない人間の悪口を言って、他のメンバーを制圧する。
目に見えない「権力」を使うetc・・・

と、まだまだ、書ききれないほどの例がある。で。この「自己防衛本能」響きは、とても頼もしいが、実は、本当は恐ろしぃ存在?なのだ。

初め、この「自己防衛本能」は「私」を守ってくれてる様に観えたり感じる。
が。時が経ち、あなたの信頼を得ると、知らず知らずのうちに「私(あなた)」を「操作」し操ろうとする。


で。これが実は、不幸の始まりだったりする。

自分を正当化し、他者を攻め悪者にする行為(自己防衛行為)は、人間関係を小く狭いものに変えていく。
更に、自身の「心」を小さくしぼませカラカラ乾かす。

これは、たいてい自分に都合の良い人を選択す行為から始まる。
簡単に書くと、自分の合う人と合わない人を選ぶと言うこと。
そして、人を選別し出すこの行為の真意は、自分にとっての「敵」「味方」の選別に他ならない。
そして、この選別が、後の人間関係に不安を植え込み、不安定な人間関係を形成していく。
で。この不安感が、また新たなる「敵」を創りだすことになる」

と、このようなプロセスを繰り返しているうちに、
自分の人生で起こる「不」の出来事を自身で創りだし呪うことになっていくのだが、
ほとんどの人は気が付かないでいるのが悲しい現実だ。

更に、何が原因で、不の状況に縛られているのかが解らなくなっていく。


で、その時思うのが

「何故自分が、こんな目に合うのか?」

こんな言葉だと思うがいかがだろうか?

この言葉に意味することは、全てを他者に責任転換しているという事、
自己の責任からの逃避を意味している。


なんとか自分を被害者に仕立て上げて、他の誰かを加害者にしたり、
他の何かに責任を押し付けるが、ほとんど上手くいかない。
例え上手くいっても、罪悪感が、その行為に執着させて、
後に大きな波紋を呼ぶか、収拾のつかない状況になって返ってくるかのどっちらかだ。


で。この「何故自分が、こんな目に合うのか?」は、人生を修正する「鍵」にもなる。


または「何故、こんな状況になったのか?」


を。改善するためには、
自分が創りだした自己を守るための物語をやめることだと、本から学んだ。
そして、これを実践してみて本当に効果的だと感じた。
更に、自分自身が過去の出来事へどう反応したか?を観察してみると、
全ては自分が引き起こした事だと、そして認識できるようになる。

これが「自分の人生に責任もつ」と言うことなのだ。

これは、一般的に言う「なすりつけの責任」ではない。

自分自身の生き方への「自己の責任」なのだ。

もちろん、人に悪いことをしたと思えば、謝るのが一番だが、
それが難しい時は、その出来事の真実をしかっり観て自分の責任だと感じることで、
ある程度は解消される。(もちろん全ての出来事に対応するわけではない)
更に、心の中で相手に謝罪することも、ある程度効果はある。
これは、波動の世界の方法なのだが、不思議と状況は改善する。(でも、時間は掛かります)


で。こうまで全てが自己責任だと書かれると、こう言いたくなる人もいるだろう。

人との共同作業から出た事象の場合、自分だが悪いわけじゃないと・・・

例えば、

「でも、Aさんがいなければ、あの時あんな状況にはならなった!」
「俺は、この件に関して無関係だったのに・・・」
「あいつは、いつも理不尽な要求を押し付けてくる」

などなど、声を大にして言いたくなることも多いと思う。
しかし、これは、このブログでも、度々書いている。

波動の法則の「類は友を呼ぶ」である。
 
波動=周波数なので、感情の周波数が合う者同士が引き寄せられ、コミュニティーを形成していく。

昔は、よく「周波数が合う」と言う言い方をしたが、これは結構的を得ている。


その時、その場にいる人々は、波動が似ているため、同じ経験をすることが必要だから一緒にいるのだ。
そして、その場に集った時の状況によって、メンバーの「役割」などが決まり。
その「役割」に従い人は、思考し行動をとって行く。
これは、新しい職場に移っても、以前の「役割」が継続されることが多いと感じる。
で、この時に過去と同じ反応を繰り返している限り、同じ状況がまた巡ってくるのだが、
人によっては、新しい自分になりたいと言う思いが「役割の変更」を可能にすることもあるようだ。

あと。職場で、良い状況の人と悪い状況の人が産れる理由を少し。
これは、お互いの状況に思いやりを持てないことで生じる不調和だと思う。
解りやすい例では、立場や年齢など、どうでもいいことが原因で起こる「上下関係」がこれだ。
そして、この悪循環が日々増加することで、人は心の扉が閉ざされ、本音で人と付き合うことをヤメテしまう。
更には、他人を信頼することができなくなり、意識がどんどん小さくなっていく。

これでは、人間関係に「不調和」が生じるのも当然だと思う。

で。こんな状態中では、人間関係に亀裂が入るのも当然と言えば当然、崩壊するのも必然だと思う。

では。どうすれば良いのか。

この「不調和」が産れたときに、皆で、その場(職場など)の状態、状況を観察して、
冷静な個々の利益のを無視した考えを持って、この不調和を調和に転換する作業をすることが、
精神的成長につながると思が、中々この利益を無視した関係を築けないのである。

では。この無利益とはなにか。

先輩後輩・上司部下と言う、いきなり押し付けられる関係を考え直すことが必要だと思う。
一昔前なら、明確な「恩」と「義理」が成立していたと感じるが、
現代社会では、なん世話にもなっていないのに、年が上とか入社が先だったという理由で関係を成立させたがる傾向が出来上がっている。
更に、仕事を教えることも出来ない人間が、上層部を占め仕事全体の流れを目茶苦茶にしている始末である。
この架空とも言える権力の排除が、皆の仕事に対するを士気を高め、皆の気力を高めていくと思うのだが、
中々これを認めることができないでいる。
更に、この状況が若者の目上に対する不信感をあおっている事を付け加えておきたい。

そして、これは政治の世界の構図が企業から一般家庭にまで広まっているのが、現代組織の構図ではないかと思う。
もちろん全てとは、言えないが、6割~7割は、この状態ではないだろうか?

更に、現状?の政治家の威厳・社長の威厳・父親の威厳などは、この「威厳」は、どれをとっても薄っぺらなものしか感じない。

「威厳」とは、この言葉の圧力的な印象と対照的な「思いやり」と言う気持ちがあってこそ成立するのではないかと感じる。

あと。「偉い」と言う言葉は、「肩書」の付属品ではなく、これも「思いやり」と「無利益の精神」を人に伝えることができる人に与えられる言葉だと思う。
そして。これを実践している人は、この言葉にきっと興味がないだろうと思う。






            おしまい。








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kodama

Author:kodama
思った事を、感じたままに書いていますので、言葉に語弊を感じるかもしれませんが、
あらかじめご了承下さい。

※書いた記事は、途中で編集することが、多々あります(・_・;)

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