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観音経講和 2

観音経講和 2


鎌田さんの講和本の魅力は、佛教学者のように堅物で難解な言葉を並べ、より難解な代物にしないところである。
で、こちらが維摩経で書かれている一説である。

写真 (1)
※写真をクリックすると、大きな画面になります。

と、書かれているように、ただお経を、頭の中だけで「解く」のではなく、そのお経の真意を「説く」のが、鎌田さんの講和本である。
更に、現代社会にてらし合わせた解説もしてくれるのが、本当にありがたい。

それが、講話本の書く節々に折り込まれている。
で、こちらが、観音経のなかで書かれているものだ。
写真 1

と、言う感じで、現代社会の現状を観音経でもって説いて行こうと言うのが凄い。

そして、この章のおわりを、こんな風に〆ている。
(巨海に漂う・・・から)
写真 2

と、言う様に、先に書いた「憎しみ、恨み、貪り、怒り」は、己の内に巣くっていると、説いていくだが、人の言葉を引用して書いているわけでは無く、「まず実行せよ」の言葉どうり、経験から生まれた言葉、文章だという事が見て取れる。
ただ単に、お経を訳すのではなく、その意味や文字の根拠を、自信の人生から学び説いていく姿勢に共感できる。

そして、この魂から湧き出た言葉は、読む人の精神に作用すると感じる。
が、しかし、真剣に読もう、聞こう、取り入れようという思いが無ければ、ただ読んだだけで終わる。

だから、仏学者ならまだしも、本業の僧侶ならば、本当に身を引き締めて読んで、日々の精進、説法に活用して欲しいにだが・・・。

更に、これだけは言いたい。
この不況が続く状況で、貧困の差が如実に表れている時代に、立派な本堂を建て、檀家に負担をかけたり、本堂だけでなく自分達の住まいまで、立派なお寺が多く見受けられる。
更に、車庫があり、そこには高級車が並んでいる寺など吐いて捨てるほど存在する。(今に始まった事ではない。)

盆暮れ葬式に檀家を回り、「経を唱え数万円です。」と経に格付けをしての商売。
で、日々の御勤めである、朝晩の読経は聞こえない寺は数知れず、あげくに本堂に、用が無い時はあまり来ないで欲しいと言うお寺もある。
で、その理由は、「プライバシー」がなくなるということだ。
寺内には、子供の遊具や、その他もろもろの生活器具が散乱しているのに、本堂や祠、池や庭園?は、荒れているのはなぜだろう?

また、ある有名な観光地のお寺では、土産物を販売する店舗が隣接されていて、修行僧らしき若い坊さんが土産物の棚卸を、真剣にしていた光景には、心底ガッカリして、参拝をやめにした。


と、これだけ酷評しておいて、言うのもなんだが、けして自分はお寺が嫌いなわけではない。
その逆で、大好きなのだが、こういうお寺があまりにも多すぎて残念でならないだけだ。
もちろん、真剣に修行をして、世に貢献している僧侶もいるのは承知しているが、その比率に問題があると感じる。
これは、今また新たな問題勃発中の政治家などと同じかもしれないが、僧侶は、その仲間からいち早く抜け出して欲しいものである。

兎に角、鎌田さんの般若心経講話・維摩経講話・観音経講話は、出家してようが在家だろうが、本当に為になる書物だと思う。



                         
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観音経講和

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観音経。

言わずと知れた人気のお経だが、なぜ人気があるのか知りたくなり調べていると、
やはり鎌田茂雄さんが、講和本を書かれていた。

で、読んでみて納得。

この鎌田茂雄さんの各講和本は、般若心経も維摩経も、本当に解りやすく書かれている。(しかも楽しい)

殆どの人が、お経は呪文かなんかだと、思っていると思うが、実はこの世の真実を、伝える為の書物?伝記?ではないかと感じる。

観音様からの真の教えを、伝える為に、目に見えない観音との会話が、観音経である。

だが、この真の教えを、宗教になると、歪められ、信者獲得の為の教えとして使われる。(他の宗教でも)

更に、まともにこの経と向き合っている僧侶は、本当に少ないのが悲しい。

法事でも、読経されるが、まともに唱えられる(読んでいる)僧侶を自分はを見たと言うか聞いた事が無い。

で、思う。

いったいこの国の僧侶たちは、何を修行しているのだろうか?

本来?本当は?そもそも?僧侶と言うのは、職業では無いと思うので、宗教と仏教の真の在り方を、もう一度見直して欲しいと感じる。

金も物の権力も格式だの上だの下だのと言ったモノからの縛りから、解き放たれた存在が僧侶ではないと思うだけれど・・・。


と、話はそれたが、お経は難解だと思う。

でも、鎌田茂雄さんのように、真に経に向き合い、職業としての仏教徒では無く、真実の仏教=仏の教えを説いてくれる人がいるのは、本当にありがたい。

難解な部分もあるのは確かだが、読んで損の無い本だと思う。

まぁ、損得で読む本ではないのだけれど・・・。



延命十句観音経

高天神城跡

076_20140530204607b0e.jpg 078_20140530204606363.jpg 089_2014053020460593b.jpg 085_20140530204604754.jpg

高天神城跡

先日、掛川市の横須賀城跡に行ってきた。

で、横須賀城跡の感想は、古墳的な匂いがあり、城と言うより神事の場と言う感じがしました。
土器の発掘もあったよなので、かなりの確率で神事や秘術の場だったことは、ほぼ間違いないと思いますが、
歴史学者と言う人々の想像力の無さには・・・(^_^;)


で、この横須賀城で、なぜか悲し波動を感じ散策をしていると・・・。

「たかてんじん・・・たかてんじん」と、聞こえてきます。


高天神城跡は、横須賀城から10km程度の所にあるし、行ってみることにしました。


で、それがビンゴ!


シトシトと雨が降る高天神。
人っ子一人いない、清々しい波動と妖艶なエネルギーに満ちていて、
ここは、壮絶な過去があると感じました。


自分的に、戦国の世と言うは、物質と非物質の戦いがあったと感じています。

で、ここは非物質のエネルギーがバンバンに満ちた場であると感じた。

ここは、太古から続く波動に満ちていて、更に地のエネルギーも濃い。

更に、この地は、日本?地球?宇宙的?に重要なエネルギー流れの中継になっているように感じるのは・・・気のせい?


                 (^_^;)かな?




                              085_20140530204556ae6.jpg



何か感じた方は、一報下さいm(_ _)m

生と死

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先日、昔お世話になった方のお通夜に行ってきた。


10年ほど疎遠になっていたが、先月、何年かぶりにメールで誘いを受けたのを、無下にスルーした自分を悔いた。

だが、会わなくて良かったと、今は感じている。

なぜなら、疎遠になったのには、理由があるし、メールの文面から会うことで、何かが解消される感じがしなかったからだ。


でも、通夜では、記帳を妻がしている間、棺桶のあたりから自分を呼んでいる感覚がして、
棺桶へ引き寄せられる感覚がしてならなかった。

そして、焼香をすませお顔を見た時、涙があふれてきた。

が、この涙は、悲しみではなく、むしろ喜びと言うか歓喜の涙のように清々しい感じで、
心地の良いモノを感じた。
棺桶の彼の顔も何故か笑顔に変わったように見える。
更に、自分が来たことを喜んでいるように感じてきて、更に涙が出てくる。

でも、悲しみのい涙ではない。

で、彼の顔を眺めている時、これは肉体から解放された彼の喜びの涙では?という、感じがしてきた。

なんで、彼の感覚で、彼を感じるのか不思議だったが、この感覚に100%の確信を感じた。

彼は、自分の死を認識し受け入れ、今生の人生の課題をクリアし、死を理解している。
で、ほんの少しだけこの世を惜しんで、亡骸の側で通夜に来る人を眺めて、一人ひとりに感謝ているのだろう。

そして。やっと天に行けることに歓喜している。

これは、無償の喜びのようだ。

人の死は、誕生と同じで、本当は元気よく送り出してあげる方が良いのかもしれない。

悲しみは、死者をこの世に引きとめるとも言うので、

「もう心配しなくて良いから、天界でのんびり来世の準備をして下さい」

と言う、送り出しもあるような気がした。

       

                  END

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昨日、数年?いや十数年ぶりに虹を見ました^^

しかもフルアーチで、多分と言うか、きっと七色のパーフェクトレインボウ!(^_^;)051_20131222082306daf.jpg
ただ残念なことに、虹が大きすぎてスマホのカメラにおさまりませんでした(-_-;)

で、虹を見ながらある疑問がわいてきました。

それは、虹が地上に着いてる?場所の人に虹はどう見えるのか?
で、「虹の真下の人」で検索してみると、あっさり回答されていましたので、
興味のある方は、↑こちらで検索したみて下さい。
自分的には、気持ち残念な感じがしましたが、まぁそんなもんか!って感じでした。

045.jpg
この↑写真は、虹の色が濃く出るように加工してあります。


↓この二枚が、フルアーチに近い虹のです。
 
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虹は、いろんな条件が、揃はないと現れることができない神秘的自然現象ですが、
我々人間も色んな条件によって、生まれてきた存在であることに変わりありません。

が。しかし、人間は動植物をはじめ鉱物資源や昆虫に微生物に至るまでコントロールしようとしたり、
排除し除去し消去滅菌という存在自体を否定する行為を、平然とやってのけます。


その昔、佛陀が一番弟子である舎利佛に一輪の花を指して悟りに導き、
人々に、この尊く大切な教えを多くの人に伝えようとしたのに、
人間の欲は、尊い教えをも排除し、人間の利益の方を選び続けている。

人間の不都合は無視し、都合の良い解釈で、その時々の時代を誤魔化して生きてきたツケが、
目の前に迫ってきているのに、、、。



                おわり。








    

頼朝杉

以前、紹介した智万寺の10本杉の頼朝杉が先日倒木したと言う報道があったと連絡がありました。

智万寺の10本杉は、前回、紹介した時に、すでに8本になっていたので、
今回の頼朝杉の倒木で、7本になってしまいした(-_-;)

                        089.jpg


言い伝えでは、源 頼朝公のお手植えとある頼朝杉。
頼朝公誕生は西暦1147年だから、樹齢は約800年ほど。

800歳の頼朝杉。

この人間には想像もつかない年月を、驚異の生命力で生きてきた頼朝杉もついに、
その地位を、譲る時が来たのかもしれない。

だが、頼朝杉の跡目になる杉が出てくるまでは、まだ数百年はかかると思う。

と言うか、ここ数年で、3本もの古木の倒木が続いている事が気になる。

自然環境に大きな異変が起きている今の現状に「眼を向けろ」と言う忠告なのかもしれない。

で。実は、木の倒木はそこかしこで起きている。

最近紹介した、袋井市の冨士浅間神社でも数本の巨木が倒れていたし、
昨日、久しぶりに参拝してきた。浜松市の賀久留神社の隣にある馬頭観音のお堂裏手の巨木も真ん中あたりから
ボッキ!と折れていたし、ほうぼうの山々で巨木が折れたり、倒れている。
そう言えば、数年前に鶴岡八幡宮の大イチョウも倒れたニュースは、記憶に新しい。

もしかして、何かの暗示を木々達は示してくれているのでは無いかと思う。

例えば、雨に含まれる汚染物質により、土に何らかの変化が起きていて、
それが原因で木の空洞化?が増えているとか。
地震による、地盤の緩みも倒木に影響しているのかもしれない。

そして、この地盤の変化が、地球の波動に大きく作用し、全生命に大きな影響を与えている事を示しているのかもしれない。

更に、世界中で起きている不幸な出来事による人類全体の波動の乱れが、自然に大きな負担をかけてるのかもしれない。

あと、人の放つ「気」は、動植物に大きな影響を与えると言うこともあるかもしれない。
でも、これは、ここ数年で認知されつつある。

特にペットが受ける人間の感情エネルギーは、凶暴な行動に出ると言う事を言う人もいる。

また、植物にかける言葉も、良い言葉と悪い言葉では、成長に大きな違いが出る事は、
多くの人が証明しているし、我々の口に入る野菜や果物、観葉植物に話しかけて育てている生産者は多い。
これは、水でも証明した人もいる。

と、いつもどおりに話はそれたが、兎に角、自然が我々にいろんなことを示していることは、
間違いないと思う。

この今回の頼朝杉の倒木を、ただの倒木で済ますしては、いけないと思う。

木々達をはじめとする自然そして地球が、身削って我々人類に警告、忠告をしていると、とるべきでないだろうか?



                END

                        10本杉

          

維摩経

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面白い本を発見したので、紹介します。

「維摩経」(ゆいまきょう)と言うお経の講和(解説)本です。
これは維摩(ゆいま)さんという在家(出家してない一般信者)の人が菩薩や如来を相手に説教すると言う、一風変わった本です。(多分、フィクション)
で、このお経の解説本は多くの方が、書かれています。
自分が紹介するのは、鎌田茂雄さんと言う方が訳された本を読んでいるのです。
で、これが実に面白くて、読みやすい。

そして、なにより維摩さんは「悟りとは実生活でも開ける」と言う事を言っているところが、気にっています。

と、言うのも自分自身もそう思いますし、涅槃や悟りは一般に生きている人にこそ必要なアイテムだと思うからです。

で、本来、お坊さんになるという事は、今に苦しむ衆生を救うことも修行に一つだと思っていたのですが、
実際は、そういうお坊さんは大変少なく、現代社会では皆無。

寺の運営に力を注ぎ、肝心の説法を開くお寺は本当に少ない。

そして、なにより「真の悟り」を開いていると感じる坊さんを未だに見た事が無い。
これは、実に不可思議で、日本には、お寺が7万6千以上も有るというのになぜ?
しかも、お寺に参拝した時など、挨拶すらしない坊さんが多いのはなぜ?(-_-;)
更に、そのほとんどのお寺が住職不在と言うか人の気配のないお寺が多い。
観光地以外のお寺の坊さんとは、そんなに忙しいのだろうか?
また、お寺から読経を聞くことがほとんどない。
で、不在にもかかわらず、拝観料はもらうよって、感じのお寺はそこかしこにあるのも不思議だ。
でもって、人気が無いのに立派な宝物殿があったり、仏像を拝むのにも拝観料だと言う。
いくら寺の運営に維持費がかかるとは言え何か納得できない。
そこはやはり「お気持ちで」では、ないだろうか?

また、本堂の横に大きな家有り(住居)、庭有り、外車有り、個人的な娯楽遊具有り、と言うのは、
これもなんとも納得がいかない。

僧侶とは、この世の苦しみから衆生(人々)を救い、生きるという事の尊さを説くことが第一の仕事。
その僧侶が、この大不況で苦しむ人が多いなか、
率先して自堕落な生活を平気でしていては、さぞ仏様も呆れている事だろう。

また。本来、祈祷も読経も慈悲で行うことで、奉仕でもあると思うのだが、料金設定に松竹梅がある。
これでは、本当に困った人(お金が無かったり)は受けることが出来ない。
ならば本当に困った人かどうかを見極めて、料金を決めればいいと思うし、
本来は、「御志で結構です。」ではないか?と思う。

更に寺に集まった御賽銭やお布施を、全て自身の生活に使うのは「仏の道」から大いに外れているとは思わないのだろうか?

何もしないでもらうばかりでなく、説法や写経、身の上相談など人々になにかしらの奉仕をしたうえで受け取るべきではないか?

今は坊さんもお金は、必要だから、一般の人々と同じようにきちんと仕事をして、お金を頂くのは当然だと思う。

もう一つ言わせてもらえば、今は肉魚は食うし恋愛・結婚もありじゃぁ、ほとんど一般の人と変わらんし・・・。


        しかし、この↑本来ならご法度の仏教の戒律にも維摩さんは、驚く回答をする。




あと、少なくても最低の霊力、人の真意を見極められる霊力くらいは身に着けてほしいし、
真剣に修行すれば、そこそこはつくはずだ!

なぜなら全ての人間に霊力は標準装備で付いているのだから。



高価な法衣に、素敵な数珠と高級な車を乗り回すのは、物欲を脱した僧侶には、本来無縁。

ましてや、この大不況に檀家からの銭集めに翻弄するなど、無慈悲極まりない(-_-;)

あげく、檀家衆から「数億円」と言う金を要求し、本堂の建て替えをする寺まである実状を、
仏界の菩薩や如来の方々は、いったいどんな心で見ているのだろうか?

と、ここで維摩さんにもどるが、その仏の菩薩や如来の方々との問答で、一般の在家である維摩さんは、一刀両断するのである。(凄い!)

文殊菩薩に弥勒菩薩をはじめとする各童子や如来様にいたるまで、仏の教えや悟りとは?から説法のしかたまで、
バッサリとやる維摩さんの説き付け方は、本当に真をついており絶妙なのだ。

でもって、ホントに凄いのは、この維摩経書いた人ね!
ホント凄すぎる!

しかも、この維摩経を、かの鳩摩羅什さんが訳しているのだ!
で、現在の言葉でやくされているのは、鳩摩羅什訳の『維摩詰所説経』がもっとも流布しているらしい。



で、話を「悟り」に移すが、悟りとは、全ての人に必要な人生をよりよくするためのアイテムなのに、なぜもっと多くの坊様がそれを伝えないのか?

悟りとは、僧侶に成る為のものではけしてないのだ!

この世の矛盾に気づいたり、本当に大切な物を理解する道具で、人より優れていると思わせる道具ではない。

人の上に立ち崇められる事は、仏の心とは正反対。
更に「悟り」を己の煩悩を打ち消すだけの目的で修行する者など、僧侶ではない。


と。ここで、また話を維摩経に戻すが、
この維摩経。仏教が始まり時が経つにつれ、その仏の真意から外れた者が出始めたので創られたのではないかと思う。


更に、全ての衆生(人々)に仏教の真の意味を紹介し、悟りや解脱と言った一見難しそうな境地が、
日々の生活の中で学べるという事を教える事を目的としているようにも感じる。


生きるという事に難しい教義はいらない。

ただただ、お互いを尊び、思いやり、愛することを教えればいい。
全ての人間は平等で上下は無い。
全てを分かち合えば貧困は無くなる。
うらやむことも無くなり、奪い合いの無い世界を仏界の仏達は教えたいのだと思う。
が、これには「人の自力」が、重要。
なでもかんでも「他力本願」でいては、成しえない。
自力とほんの少しの他力をもらって、成就すること。
神や仏は、人が自力で出来ることに手を貸さない。
でも、ヒントは、ありとあらゆるところにばらまいてくれる。

耳をすまし、よく観て、肌で感じ、嗅いで、味わえばもう一つの感覚が蘇る。

更に、自然や他の動物たちからも多くを学べる。

そして、肝心なのは、己の心をよ~く見つめて、自己診断をするのも大切だ。


と、またまた話がそれまくったが「維摩経」の魅力は伝わっただろうか?(^_^;)

と、心配しつつ維摩経の紹介を終わる(^_^;)


                     おしまい。





最後に誤解のないように一言つけます。

今回は、かなりお坊さんの中傷をしてしまいましたが、全てのお坊さんがそうだとは思っていません。

数少ない「真」のお坊様には、敬意をもっています。
世界平和の為に祈り、尊いお経を読み、衆生の苦しみを少しでも減らすことを目的とし、
日々精進と謙虚に取り組んでいるお坊さんには感謝しています。


で、自分が、嫌なのは坊さんを稼業とか商売とか仕事と思っている人達です。
こういう人にこそ、今回紹介した「維摩経」を是非、読んでもらいたいと思う。 
    

追記 金峯山金剛蔵王権現 (再々編集 ^_^;) 

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金峯山金剛蔵王権現の追記です(^_^;) 

と言うのは、今回、金峯山で金剛蔵王権現を参拝したことで、久しぶりに「印と真言」への興味が復活!
昔買った「印と真言」の本を引っ張り出し開いてみたら、蔵王権現の真言がありまして、
そこに金峯山にて役行者が金剛い蔵王権現を感得(かんとく)した時のエピソードが書かれていたので、
紹介したいと思い追記します(^_^;)




では、行きます!



まず役行者が金峯山にて主尊・守護神を感得する為に祈祷した時、最初に主尊を請い祈願し現れたのは、なんと釈迦如来で次に千手観音ついで弥勒菩薩だったと言う。
しかし、役行者は、どの尊も守護神(仏)とするにはパワーが足りないと感じたと言うのだ!(凄い!)

それにしても、守護神を求めて祈って、釈迦如来・千手観音・弥勒菩薩と現れたと言うのも凄いが、
パワー不足と言うところのにも驚かされる(・_・;)
流石!スーパースター小角だ!と思わせるピソードです(・_・;)

で、パワーが足らないと感じると、更に強力な守護神を求め祈請(きしょう)し、
感得したのが、蔵王権現だと言うのである。

いたったいアンタは何様だと、思わず突っ込みたくなるが、
なぜ、このような流れになったのか・・・?
そして、小角ほどの能力者が如来、観音、菩薩以上の強力な守護神を欲しがった理由とはなんなのか?

で。この謎を解明する為、想像力をフル稼働させ考えてみた(あくまで私的な解明だが・・・^_^;)


まず。仏界の仏達は、役行者の力を認めいて、何のために役行者が守護神を欲しがるのか感じ取っていた。
で、初めは、既存の如来・観音・菩薩を遣わしたのだが。
当然の様に納得しない役行者に、その3仏?をまとめて創った、金剛蔵王権現を出現させたのではないかと思う。


と言うのも、仏の世界の方でも、今回の行者の祈りは並みではないと感じたようだ。(?)

で、その祈りとは金峯山寺のHPでは、

「今から1300有余年前、金峯山山上ヶ岳に役行者が一千日の修行に入り、感得された権現仏であります。
 権現とは権(仮り)に現われるという意味で、
 本地仏の釈迦如来(過去世)、千手観音(現在世)、弥勒菩薩(未来世)が権化されて、
 過去・現在・未来の三世にわたる衆生の救済を誓願して出現されました。
 また金剛蔵王とは、金剛界と胎蔵界を統べるという意味も表しています。」

と解説している。

で、気になるのが、ここの部分↓

「過去・現在・未来の三世にわたる衆生の救済」

金剛


なぜ

「過去・現在・未来の三世にわたる衆生の救済」

が必要なのか?

憶測と言うか推測で申し訳ないが、自分が思うに、
この役行者の生きた飛鳥~平安時代と言うのは我々が、本やTVで見聞きする100倍も荒れ果て、混乱し、尋常でない権力優先(?)の世界で、階級の厳しいガチガチの権力国家!庶民など奴隷同然ような時代です。

当然、貴族の生活は、自分たち中心。
庶民のことなどお構いなし。

で。このように人の心が乱れたのは過去に原因がある、
ならば、まずは過去を癒し、
現在、現状の悲惨な状態を一つにまとめ人の欲を浄化し、
未来は永劫、平和な世であるよう祈願しなければと考えたのだと思うんです。

兎に角、人々、特に貴族をはじめ武士、侍や御仏に使える坊主までも、武士は己の為に権力と財力を得るためだけに戦に明け暮れ、(もちろん全ての人ではないが)
この波乱を利用し不安をあおり祈って戦えと迫る僧侶達が現れ、
農民達は、ボロボロの着物にフンドシと竹槍で、甲冑を着た侍に挑んだのである。
もちろん侍の武器は刀・槍・弓矢など、人を殺す為にだけ作られた様々武器を相手に・・・。


繰り返すが、高僧と言われる特権階級にまみれた僧達、貴族達は、農民、庶民を操り侍達と戦わせ。
また逆に、侍をわずかな土地や金銭で、そそのかしては、世中を戦乱の渦へと落していったのです。
自分達の力と富と繁栄の為に・・・。


だが、もちろん、こんな輩ばかりではない。
正義と慈愛を持った僧侶、侍、一国の主がいた事にはいたが、こういう輩と戦おうにも数が違い過ぎた。
圧倒的に、欲にまみれた存在の数が多かったのだ。
     
しかし、残念ながら今もその状況はあまり変わっていない・・・。
数百年経った今ですら、我々人類は、目に見えない階級にしがみ付き、実体の無い権力に翻弄されている。




で。話を戻して、役行者の真の志とは?

仏の力を借り、その大威力(だいいりき)を持って、衆生を救い時代に変革を与えていたのではないかと思う。
もちろん、時間がかかることは解っていた。
だから、この戦乱に終止符打てるだけの人材が現れてくれるように祈願したのだとも思う。
まずは、この戦乱期に産れ、衆生の苦しみを知り。
この荒れた世の中の波動を肌で感じて、正気の志を心に強く持っ者が現れるのを!

また、仏の力を借りるだけでなく、修験であった小角は、全ての物(存在)に意思があることを知っていた。
だから自然神や精霊を呼び集めることができ、その力の根源である地球自身からも力を得て、自由に空を駆け巡り、その力を皆に知らしめ、この世は眼で観えるモノだけではなく、不思議な力の動きが有って構成されているのだと、教えようとしていたのかもしれない。

更に、山岳修行で弟子たちと山々を駆け巡り、自然や動物はもちろん、自然神と精霊の空間を守り、村など山に近い場所には神社と言う結界装置を設置し、これ以上人々に自然を破壊させないようにしたのかもしれない。

と言うのも、今も昔も、自然から資源を捕ることは変わりないからです。

映画「もののけ姫」では、タタラバ(鉄を作る作業場)と言うのは、山から木を伐り燃やし、動物たちの生活までも脅かすとして、人間とデイタラボッチ(自然神)と山の神と恐れられる霊獣達との戦いを、生ナマしく画いています。

そしてこの映画の見所は、基本的に恨みなどの感情を持たない獣達ですら、人間達を恨みたくなるのでは?と思いたくなくらい傍若無人な人間の有り様を、リアルに表現し当時の戦の悲惨さ、人間の浅ましさまで描かれています。(宮崎駿さんは、本当に凄い!)






で、この世には、色んな世界(次元)が有ります。

人間界が有るなら、動物界、植物界、昆虫界、微生物界、ウィルス界などの人間が感じられるモノ全てに「界」があり、
更に、五感では感じられない、神界、仏界、霊界など人智を超えた世界もあります。

しかし、五感が役に立たない世界を感じる方法があります。

そう。第六の感覚です。

この第六感(霊感)を使って感じる方法ですが、能力の高い行者達は、この第六感をフルに生かし、心の眼である「額の眼」を第三眼を開き、現実では感知できない様々な存在を感知、感得し、祈願をして、力をもらい。
その神秘の力を使って、秘術を研究開発し乱世の世に貢献していたと思います。

が。しかし、貴族た達は、それを快く思う訳もなく、自分達の為だけに使えと金と武力で彼らの力を我が物にしようと画策し、自分達に従わないものを排除しようとするでしょう。
実際に小角は、伊豆に島流しになっています。

で。この↓伝説が残るわけですが、こ伝説の信憑性は?です。
ウィキペディアhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%B9%E5%B0%8F%E8%A7%92

なぜならは、全ては、時の権力者の都合の良いように改ざんされるからです。


で、役行者は、強欲な貴族達から「真の修験者」を守ろうと、強力な守護神を求めたのではないかと思うんです。

真の修験者は、衆生(庶民)の救済に重きをおき活動することが自分達の使命だと知っています。
今でも「護摩供養」「護摩焚き」などの法を使い、人々の救済にをしている真の修験者、僧侶は多く存在します。


で、この真の修験者、僧侶に対し、貴族側に寝返った修験者や僧侶達との戦いにもなるわけです。
そして、そういう修験者、僧侶達との戦いは、呪術・秘術・魔術的な戦いです。
強力な守護神を真の修験者や僧侶達に憑ける必要が有ると感じたのだとも思います。

また、役行者は真の修験者や僧侶達を、貴族達の心に住む邪鬼や悪霊から守る為にも必要だったとも感じます。

兎に角、人の発する「念」は、似た存在を惹きつけます。
そして、「類は類」の法則で集まり、組織的なモノを形成します。
簡単に悪の世界とでも言いましょうか。
で。この悪の念は魑魅魍魎(ちみもうりょう)好むエネルギーですから、平安時代に百鬼夜行とは、こうした人々の「念」が生みだした存在なのかも知れません。


だからこそ、小角は、神仏界から強力な守護神として、この釈迦如来・千手観音・弥勒菩薩の三仏が融合した金剛蔵王権現を出現させ、衆生の救済に小角を選び、その役目を託したのだと思います。

そして、時代は流れて戦国時代に突入していくのですが、戦国時代には、この乱世をに終止符を打つべく武将が3人現れます。

織田信長 豊臣秀吉 徳川家康です。

信長公に関しては、比叡山焼き打ちにより仏敵とされましたが、理由なくして寺など焼くはずが有りません。
以外に信長は、信心深いと自分は思っています。
と言うのも、桶狭間の時には、熱田神宮に戦勝祈願しています。
これをパフォーマンスと言う人もいますが、自分はそうは思いません。
で、比叡山焼き討ちですが、歴史では、浅井、朝倉に比叡山が味方したことが、その理由とあります。
が、しかし、それ以上の理由もあったはず、第一に仏に仕える身で、人を殺す戦に加担すると言うのが、自分には解せません。
それは、仏に身を委ねた人間が、人を殺す戦に参戦するわけないからです。
また、神仏の名を利用し、人々を戦乱の世にどっぷり浸らせて、更なる恨みを生んで悪霊を増やすことに気が付かないなんて、そんなの真の僧侶ではありません。
と言う信念が、信長にあったような気がします。

そして、その後に秀吉、家康と続きますが、話が長くなるのでこの辺で〆ます。

で、この三人、もしかすると仏界が人界に遣わした「権現」かも・・・(^_^;)


因みに、吉野町のHPには
http://www.sakura.yoshino.jp/yoshinoyama.htm

「秀吉はこの地に、徳川家康、宇喜多秀家、前田利家、伊達政宗ら錚々たる武将をはじめ、茶人、連歌師たちを伴 い、総勢5千人の供ぞろえで吉野山を訪れました。」

と、あります。
でも、自分の個人的な憶測では、花見は口実、真の目的は天下統一後の日本の在り方を話し合う為だったと思いたい(^_^;)
また、この霊山の力を、徳川家康は知っていたようにも感じます。
と、言うのも

「慶長19年(1624年)、徳川家康の命により、天台宗の僧である天海が金峯山寺の学頭になり、金峯山は天台宗 (日光輪王寺)の傘下に置かれることとなった」

とあります。

で。この日光輪王寺ウィキペディアでは、

「輪王寺(りんのうじ)は、栃木県日光市にある寺院で、天台宗の門跡寺院である。」

と、紹介している。
そう、後の日光東照宮(家康公のお墓)のおかれる地なのだ!
これは、絶対に何か有ると思うのだが、これ以上の詮索はやめておきます(・_・;)


                
               
               END






と、言いつつ追記の追記(^_^;)

031_20120609155507.jpg




修験道は、明治政府により禁止令を発せられ、一時その活動を制限されました。
その時、日本には17万人の修験者がいたそうです。
因みに当時の日本の人口が3,300万人に対し17万人の修験者と言う事は、人口の約200分の一が修験者と言うんです。凄いですね(・_・;)


しかし、なぜ明治政府が修験道を禁止したのか?

神社の縮小や神官・神主が不在の神社増幅にも関係ありそう・・・。

だが、こちらも、これ以上の詮索は・・・やめておきます(・_・;)



                     END

真言

178.jpg


真言についてご質問をいただいたので、頑張って書いてみようと思います。

しかし、あくまで自分の解釈ですので、
その辺をご了承ください(^_^;)



自分の真言に対する知識としては、各菩薩様達が苦しみしか知らない人間達への贈り物として、
授けてくれた尊い言葉と思っています。
言葉や文字は、サンスクリット語ですが、元は菩薩界の言葉だと言う事です。

そして、その意味は各菩薩様の力や能力?によって違いますから、
自分の求める作用や用途?のある真言を唱えます。

例えば、病気を治したい場合は、薬師如来様の真言を唱えます。
「オン・コロコロ・センダリ・マトウギ・ソワカ」です。

また、不動明王の真言は、人の邪心を浄化してくれると言われています。
「ノウマク サンマンダ バサラダン センダンマカロシャダヤ ソハタヤ ウンタラタ カンマン」です。
少し長いですが、何度か唱えているうちに、以外に覚えてしまいます(^_^)

と、これらは仏の世界からの贈り物ですが、
真言によっては、かなり強烈な真言もあります。

平安時代の陰陽道では、敵を「呪(しゅ)」で、呪い殺すということが行われていたようですし、
戦国乱世でも陰陽師や僧侶、忍者などは法力をもって敵と戦っていたと思います。
でも、このように戦いや呪いのような真言や呪文は、人間の念によって創りだされた存在、
例えば陰陽師などは、「式神」と言う存在を創って、その存在の力を利用していましたし、
忍者などは、魔物や妖怪のような存在をしもべにして、操っていた様です。
有名なところでは、石川五右衛門などの大ガマガエルなんてのもありますよね。
そして、そのガマにまたがる五右衛門は口に巻物をくわえて真言を唱えています。
でも、これらは、真言と言うより呪文と言う感じですね。


で、ですね。
この魔物や妖怪達ですが、全てが恐ろしい存在ではないんです。
と言うか、ほぼすべて悪ではないと言い切れるかもしれません。

そもそも、魔物や妖怪は、姿かたちが人間と違うからと言うだけで、
悪い奴みたいな扱いを受けてきただけなんですね。
しかも、その姿をまことしやかにオドロオドロしく書かれたのが誤解の始まりです。
これは、人間の身勝手なエゴの部分が作り上げたと言っても言い過ぎではないと思います。
と、言うのも人間は、何か悪いことが起こると、すぐにその原因を何かの仕業にしないと気が済まないんですね。
で、その仕業の犯人が見つからない場合に魔物や妖怪の仕業にしてきたわけです。
ほんと身勝手ですよね・・・人間は(-_-;)

では、魔物や妖怪とはいったいどんな存在なんでしょう?

自分的には、自然霊だと思っています。
で、綺麗な存在を、精霊とか妖精と言い、
すこし容姿が変わっていると妖怪、魔物と言うのだと思います。

あと、「鬼」と言う存在もいますね。
これは、死んだ人間の怨念が、自身の霊体を怨霊のエネルギーで満たし、
無念をはらす為に再度具現化したものではないかな?と思っています(^_^;)
また、鬼と言う存在、その世界が多次元に実在し、そこからなんらかの「業(わざ)」で、
人間界に姿を現したのかもせれません。

まぁ。兎に角、我々の住むじげんだけではなく、この世は多次元で多くの存在がいるのではないかと思うんです。


と、また本題から外れてしまいまいたので、
もとに戻ります(-_-;)


え~。真言ですね。

今現在知られている真言は、とても昔から伝えられてもので、
その真言の力をより現実化するために僧侶や陰陽師達は日々の修行で数百、数千、数万回と唱え真言を音の力を借りて、この世に定着?させようとしてきました。
でも、これはなんとなくなんですが、戦国乱世が終わり平和が訪れたころから、
真言の力が弱くなったような気がします。

それは、人々が神秘な世界から科学文明に目覚めた為ではないかと思うんです。
そして、神仏の存在も軽んじられ、手を合わせるのも形だけになり、
自分たちが創り上げた「神」もほったらかしにした為に福が災いに転換しているようにも感じます。


っとぉ。真言でしたね(^_^;)


このように昔からの真言もありますが、
最近では勝手に「師」と仰いでいるpurpleさんは、直に神仏様から真言をいただいています。

●神仏から頂いた呪文●
こちらです↓
http://orange.zero.jp/purple77.wing/homepage/kan/power/kaiun_jumon.html

自分は、「ソウレイソウサ・・・」と「サイカクフザラン・・・」が大好き?で、よく唱えています。
もちろん「サイカク」邪気払いの時だけです(^_^;)

また、purpleさんの考案?した
「無限力」は、嫌な事を思い出したり、頭の中のオシャベリを止めるときなどに唱えます。


もちろん昔ながらの、般若心経やお不動様の真言に光明真言、大日如来の「南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)」も弘法様が祀られているお寺などに行った時は唱えています(^_^;)

あと、自分の干支の守護本尊の阿弥陀様の真言や先に書いた薬師如来の真言などは、
お寺参りで祀られている時には唱えます。
やはり自分の守護本尊と好きな仏様の真言は覚えておくと良いと思います。



で、最後になりますが、今回のお題の元になった質問に回答して終わりたいと思います。

「真言をずっと唱えると良いこともありましたが、よくないもの(マイナス波動)も後からかなりありますが
二つはセットなのでしょうか?ならば続けてずっと真言を唱えるのは怖いことかも?」

と、言う事ですが、中には中途半端に唱えるとよくない真言もあるようですが、
今回書いた真言は心配ないと思います。
特にpurpleさんの真言は、安心して唱えることが出来ます。
ご質問の真言がどんな真言か分からないので、
なんとも言えませんが、自分は「呪い系」の真言で無ければ反作用はないと思います。


             
                      END

デジャブゥとパラレルワールド

DSCN0270.jpg



昔、こんな事があった。

「木霊さんとは、初めて仕事をした感じがしない。」

この言葉は、その時の仕事場の複数の人に言われた。

でも、残念ながら自分はこの感覚をその人達からは感じなかった。(何故だろう?)

この現象を、「デジャブ」と一般的には言うのかもしれないが、
少し視点?を変えると、「パラレルワールド」と捉えることもできる様な気がした。


ウィキペディアでは、

※デジャヴュ
既視感(きしかん、仏: déjà-vu: 「デジャヴュ」のように発音し、「既に見た」の意)とは、実際は一度も体験したことがないのに、
すでにどこかで体験したことのように感じることである。「デジャヴュ」(仏語からの音訳)、「デジャヴ」「デジャブ」(英語的読み)などとも呼ばれる。

※パラレルワールドとは、ある世界(時空)から分岐し、それに並行して存在する別の世界(時空)を指す。


「脳」は、受信機と言う人もいる。
と、言う事は、人は常に「脳」を通して、この世界の情報以外の情報も無意識に得ているかもしれない。
今の現実や過去。未来。前世・・・
そして、他の次元や世界からも・・・
それは無意識にアクセスした情報が「ふっ。」と、した事がキッカケで記憶として蘇る。
多分、そんな感じではないかと思う・・・



また、ある本では、この世界には「33のパラレルワールド」が存在するとも読んだ事が有る。

で、自分は、この「33」と言う数字から即座にから連想されるのは、「三十三間堂」だった。

で、少し調べてみると、この「三十三」とは、菩薩様の変化身三十三身から来ている言う。
http://sanjusangendo.jp/s_1.html
そして、先程の本にも
「この33の世界には、菩薩は一体づつ存在しているとあった。」
合致する・・・(自分的にはだけど)


そして、この「デジャブ」と言う現象は、33の世界をほんの一部の一瞬を覗き見したのでは?と、思った。


更に、予言などの不思議な現象は、当たる事もあるがハズレる事もある。
この「あたり」「ハズレ」は、この33の世界のどれかにアクセスした結果得た情報ではないのか?
とも思う。
だから、どこにアクセスしたかが解らないと誤報とか嘘になってしまう・・・


あと、脳が創り出す、エゴイスティックな「思い込み」もあるかもしれない・・・・・(これは危険)



そして、神秘の世界や不思議な出来事へ引きこまれると、
こう言う事を中心に物事を思考してしまい。
普通の生活に支障が出る可能性も心配になる。



だから。時折、自分自信で診断しないと、
ちょっと「ヤヤコシイ人」になってしまうので気を付けなければと思う。

実際に、仕事場での雑談があまり参加したくない自分が居るし。
話すとつい、この手の話を入れたくなる自分が居る(-_-;)

だから、神秘系の人か興味にある人限定で話をしていかないと、
「あの人、いっちゃったね。」
と言われかねない(-_-;)し・・・・

だから、現状の世界と神秘の世界の区別をしっかりつけられるように、
自己診断をしている。

何故なら、あまりに「はまり過ぎると」家族や友人に迷惑をかける可能性を感じるからだ。(心あたりが・・・)
詐欺の宗教にはまって散財してしまうのと同じで、金銭の問題も浮上しかねない。
生活費を神仏巡りや神秘アイテム購入などにつぎ込み。
高額な講習、ミーティングへの参加やカウンセリングなどなどが、その対象だ。

もちろん、自分の収入の範囲内で収まっていれば良いいんだけど・・・ね。

で。自分としては、その高額な料金で活動を行っている団体が、
全て悪いとは思っていないと付け加えたい。
何故なら、人によって収入のレベルも色々ある訳だし・・・
それによって生活環境、生活レベル(?)が変わるし・・・
自分のレベルに合った、もしくは合うと感じる物に魅かれると思うし・・・


で、自分が重要と思うのは、
その収益をどう言う活動に使っているか明らかにされていて、
自分がその団体の考え方などに共感ができるか判断をします。


例えば、ビルゲイツさんのみたいな大富豪のように、
おもいっきり稼ぐけれども、社会貢献にも莫大な寄付を惜しまない方とか・・・



と、またお題から反れたような気がするが、
毎度のことなのでお許しを・・・(^_^;)
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kodama

Author:kodama
思った事を、感じたままに書いていますので、言葉に語弊を感じるかもしれませんが、
あらかじめご了承下さい。

※書いた記事は、途中で編集することが、多々あります(・_・;)

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