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不運・不幸の正体

                 
241.jpg



不運・不幸の正体は、思考が過去の記憶から創り出す妄想・想像に過ぎない。

そもそも、幸運とか不運を決める基準は曖昧で、個人個人で捉え方や解釈が異なり、
人れぞれ幸運と不運の判断基準が違う。

更に、人は他人の判断基準を自分の判断基準と比べ、
6割りくらいの人は、多数の人の判断基準を採用し自分の判断基準とする。

これは、他人と自分が違う事に対する不安や恐怖が引き起こす、
もっともしてはいけない行為だ。
と、言うのは、この多数の判断は、国や人種でモラルの判断基準が変わり、
真実の良心的基準から人々を切り離す場合があるからだ。

例を言うと、自分の基準と違っても、人間の上下関係(パワーバランス)の間で、
歪んで道徳的でない基準を採用することもある。

現実の例では、「非人道的な国」存在し国民の貧困より軍事費と自己の資産を、
大切にしてる人種がいる事で証明されている。



では、話を不運・不幸は妄想だという話に戻そう。

まず、不運・不幸は、自己責任の逃避の場合が多く、
たいがい、自分の思いどうりにならない事への文句に過ぎない。

何故なら、親子間夫婦間の問題で仲が悪く、いるだけで喧嘩してしまう人達は、
お互いの自己主張が強く他者への思いやりが無いなことに気付いていない。

お金に困っている人のほとんどは、ギャンブルやショッピングなど、
自分の収入に見合わない無駄遣いを無視している。

その他、物事への過剰な執着は、もっとも注意したほうが良い。

だから、まずは、自己分析、自己観察(内観)して、自分自身を知ることから始めると良い。
で、次に感情的なモノを無くした眼(心)で「他者観察」をして、自分と相手の違いに気付けるようにしてみると、新たな発見が出来るかもしれない。

これには、瞑想や心の動きに関する本が役立つし、重要なヒントも多い。
仏経などの講和本も良い。

が、「宗教団体」のモノでない「真の仏教講和」などが好ましい。

少し、説明すると、「仏教」と「宗教」は全く別物だからだ。

仏教は=仏(悟った者・賢者)の教えで、口頭伝授がほとんどで、
これはダメ、あれはダメだのこうしろ、ああしろ、お布施や物品を欲しがらない。
更に、人類の平和を永遠に、無償で祈ってくれている。

で。宗教は、「仏達の真理」を独自モノとし、人を集める団体。

更に言えば、同じ「仏」の真理から始まったはずなのに、他の団体と競い、こっちが正しいお前達は違うとか、
信者の数を競ったりと言うレベルの低い団体や、人々を世俗的で傲慢な真理に取り込みコントロールする最悪な団体まで存在する。
そして、更には金銭・物品など「欲」にまみれた指導者も時々見かける。
だから、自己判断基準を厳しく観察・監督していないと、こういう人々に取り込まれていしまうので、気を付けよう。
そして、こういう歪んだ団体の信者は、心が弱っている人をターゲットにする。
これは自分自身が過去に経験しているので、解るのだ。
で、解るのに心をコントロールされると、他者を引き込み巻き込み、更なる不運と不幸を引き寄せるのだ。



と、話は、不幸の正体へもどそう・・・(^_^;)


で。不幸や不運だと言う人ほど、自己責任に対する認識が薄く、
全て自分の思いどうりに事が運ばないと気が済まない人が多い。

不幸や不運だと思えば思うほど、不幸の「不」の波動=マイナスエネルギーを引き寄せる。

例えば、不運な出来事がおきた時に、いつまでも、その出来事を思い出して悩んでいれば、
その不運な出来事と類似した「不」の波動を引き寄せ、更なる不運と思い込みたくなる出来事を呼び寄せる。

と言うのは、全ての波動は似たエネルギーを引き寄せるからだ。

これは、度々書いている「類は友を呼ぶ」又は「類は類」という性質上しかたがない。


だから、「批評批判」をすれば、「批評批判」好きが集まり、愚痴れば、愚痴好きが自然に集まり、
自分の不運を人に言えば、更なる不運を引き寄せることになる。

また、人は無意識に他人の波動を感知してしまう能力を持っているので、
不運と思い込んで、クヨクヨしている人と関係を持てば、その人の波動を取り込むことになる。

これには、感度の強弱はれど、基本的に人は皆、波動感知能力をもっているので、
多かれ少なか確実に影響が出てくる。

だから、感度の良い人(感の強い)は、自分の意に反した出来事が目の前に現れると、
困惑し混乱してしまい、「この出来事はいったいどこから来たのか?」と、
他に原因を求めるが、実は自分自身が招きこんでいると言う事に気づかない限り、
招かざる不の出来事から解放されることは無い。


また。人の波動(思考)に左右される傾向が強く、
ポジティブで心地の良い波動の人と繋がれば良いのだが、
ネガティブな波動の人と繋がってしまうと不運な出来事が起こりやすくなる。(引き込まれやすくなる)

と言うのは、ネガティブな波動に飲み込まれると、
自分自身の波動がネガティブになり、そのマイナスな波動を発信してしまうからだ。


例えば、先に書いた「批評批判」などを、人と話すだけで、
この連鎖は始まり、発信源の人を経由し自分が中継点となり更に人を集めたり、
出来事を引き寄せる。


では、この不連鎖を止めるにはどうすればいいのか。

簡単なのは、ネガティブな波動を発する人との繋がりを切るのが一番手っ取り早い。

一番良いのは、会わないようにするのが一番だが、
仕事場などでは難しい場合が多いので、
もし、どうしても話さなければならない時は、相手の会話に「同意」しないようにする。

例えば、他人の批評や愚痴を聞かされた時は。

「そういう人もいるんですかぁ~。」と言うように、「否定」も「肯定」しないようにして、
「そうそう、自分もそう思います。」と「同意」し話を合わせないようにするればいい。
これだけで、不の波動の影響が小さくなり、その後、会話をポジティブなモノに切り換えて行けば、
その場のエネルギーを変える事ができるが、これがナカナカ難しい。

また、ネガティブな事を、頭で考えても、不の波動を発信してしまう。
心で思い描いた事は、その時点でエネルギーとなり、その人のオーラに流れ出す。

例えば、人を頭の中で批判すれば、批判の度合いに見合ったマイナスエネルギーが、
オーラに流れて、周りにいる人に伝わり、その後、送り出したマイナスエネルギーが自分に戻って来る。

で。この戻ってきたエネルギーが「不幸」な出来事の引き金となる。



では、なぜ不運とか不幸になるような行動を人はとるのか?


その理由のほとんどは、「不安」や「恐れ」が元になっている。


特に、他人の言葉や態度に過敏な反応をしてしまう人ほど、
この二つを元に「不の物語」を想像するのが好きだ。

「ああなったら嫌だ。」「こうなったらどうしよう。」などと言う不幸まっしぐらな考えをループさせている。

だから、実際は自分自身で不幸を招き入れる準備をしていると言ういことだ。

で、信じられないかもしれないが、こういう人は、実は「不幸」が大好きなのだ。

なぜかと言うと、不運や不幸を知らず知らずに自分に必要なアイテムだと勘違いしているからで、
不運・不幸を心底、愛しているからである。

また、こう言う人は、「被害者意識」とも仲が良く、自分を小さく弱くすることで、
他者を「悪者」として「ゆがんだ自己防衛本能」へと変化せていく。

で。この「ゆがんだ自己防衛本能」が思考を支配すると、
全ての出来事を、ゆがんだ解釈で見るようになり、
他人の言葉の真意を聞けず、自分勝手な解釈で読み取り行動して、人間関係を悪化させていく。


だから、まず自分は不運でも不幸でも無い事に気付くことが、
幸せになる唯一の道だと思う。

まずは、心を平和で静かで、清らかな状況にしてみよう、不の連鎖は終息していくことに気付くと思う。

もちろん、意識を平和に保つには、時間はかかる。
これは、執着と言うエゴのもつ習性だが、これも訓練次第でコントロールできるようになるし、
不運や不幸を、意識を変えるチャンスだと思えば、変化に加速度が増す。

そう。人間には、自分自身で人生の問題を解決出来るだけの力はちゃんと備わっている。

だから、この方法を知るには「真実を見ようとする眼」と「純粋に愛から考え、行動する」と言う事を、
意識的に知ろうとする精神を育てようと決心することだ。


                      END
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波動の変化と人間関係 (再編集版)

今回は、過去に書いた「波動の変化と人間関係」を編集版です。

当時は、頭に浮かんだ事を、「ダー・・・」と、書いて、ろくにチェックもせず(-_-;)
「公開」していたので、誤字誤文のあまりのひどさに書き直してみました(^_^;)

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033.jpg



今回のテーマは、波動の変化と人間関係です。
簡単に言うと、
自分の波動が変化することで起こる、人間関係の変化を見ていきたいと思います。


では、いきます。

人や物と言う物質は、個々に固有の波動=周波数を発しています。


で、今回は、人の「思考」が発する波動に焦点をあてます。

人は、何らかの出来事が原因で「思考」が変わると、その人全体の波動にも大きく影響が出ます。
これは、思考が発するエネルギー=波動の周波数が変わるからです。

今回は、この波動の変化を、簡単にポジティブとネガティブで分けます。

で。これが、どちらよりになるか?という事で、人との関係に出てくる影響が違ってきます。



まず、今まで「普通?」だと思っていた付き合いに違和感が生じたりします。
この違和感は、「疑問」と言う形で現れるのが多いと思います。

例えば、
「Aさんて最近、結構自分勝手な感じがしてきたぞ?
以前は、感じなかったけど、自分の都合の良いようにしかしてない感じがする。
言葉とは裏腹に・・・・。」


と、このような「疑問」が徐々に真実と感じるようになり相手の「実態」がハッキリしてくる感じです。

で、これがもっと確信的になると、自分自身の波動と相手の波動の違いが大きくなるんです。


そして、この波動=周波数の違いが、

「波長が合う、合わない。」となるわけです。



で、この結果、お互いが出す波動が大きく違ってくると、
相手の行動、言動に反発的になり、摩擦が起こります。
また、決別するような決定的な出来事に発展することも有ります。

例えば、単純に今まで、聞き流せ事が許せなくなったり、
相手の話の真実(思考の真意)に気付いたりした事でおこります。

これは、波動がずれた事で相手との違いが明確に感じるようになったと言う事で、
今まで(無意識状態)なら中々感じ取ることが出来無かった事に意識的になったと言いかえる事が出来ると思います。。
で、この違いは、利己的な人同士なら普通に主権を取り合うな争いになったり、
片方が利己的で操作的なら、それに気付いた人はは、その呪縛から解かれ解放され決別できます。


で、こうなると、だんだん意識がはっきりしてきて、今までの付き合いの記憶から多くを学ぶことが出来ます。
自分の無意識な反応が生んできた数々の問題解決のヒントが気づきとして感じるようになるんです。

でも、無意識な反応の中に「利己的自我」いわゆる「エゴ」が介入していると、問題が解決するどころか、
このせっかくの「気づき」を、捨て去る結果になるんです。
単純には、「エゴ」が、他者批判をはじめたり、責任転換や被害妄想などに変化させ、
自己防衛体制に入り、攻撃目標を探し出すんです。

これでは、
せっかく気づきかけたのに、この「エゴ」の放置で、自爆行為にもなりかねません。

でも、これが、人の癖かもしれません。
と、言うのも。
自分可愛さに、相手の欠点を見つけ出すということは、日常茶飯事的に耳にします。


で、これに対処するには、「良いか」「悪いか」と言う損得でモノを見るで利己的な判断に注意すると、
意外と抜け出すことが出来ます。



ここで話を戻しますが、波動が違ったもの同士のその後です。
こう波動の違いがハッキリしてくると、波動(周波数)が違う人間同士は、同じ空間にいることが出来なくなります。
その作用は空間全体に作用し、「偶然ばったりの出会い」や「すれちがい」すらなくなります。
本当に近所に住んでいても会うことが無くなるんです。

で、また、この波動の変化は共通の友人・知人にまで影響が出て、波動の似た者同士で別れていきます。
これは正に「類友の法則」です。
似た波動を持った者同士は引き付け合うんです。
だから、自分の属するグループの全体像を時折見ることも大切です。
グループの中の個人個人を見ていると気付かない事が、グループの全体像を見ることで、
どんな仲間なのかが見えてきます。
思いやりのあるグループか、利己的で批判的なグループかでは、
その後の人生に大きな違いが出てきますから、本当に注意したいです。


で、まとめです。

真の思いやりがあれば、おのずと自身の行動の選択は絞られ、
お互いを傷つける事のない選択ができ、
人間関係も円滑に流れ、人生も好転すると思います。
まずは、エゴの自己診断などを、取り入れ、批判的な心、利己的な損得勘定などのチェックをしてみると良いと思います。


              END

心のあり方

まずは言い訳です。

ここんとこ仕事の忙しさと、咳風邪にとりつかれブログの更新ができませんでした(-_-;)

「最近、ブログサボりすぎ」とのお言葉も頂きまして・・・反省しておりますm(_ _)m


で、久しぶりの今回は「心のあり方」と言うお題にチャレンジです。


実は、これ最近受けた相談で、「勾玉が割れたのですが」と言うものがありまして、
その時に感じた事なんです。

で、その感じた事が、相談者の心のあり方に対する警告だったのです。

でも、まさかそんな個人的な事で「勾玉」が反応するとも思えず
「こう言うのは割れやすいんですよ」
と、とても縁起を気にされていましたので、とりあえずこんな回答をしたのですが、
どうしても「忠告」じゃないかと思いPさんにも写真を見てもらいました。

すると、同じ回答を頂いたので、相談者に聞いていた割れた時の状況にフォーカスしてみると、
その時とてもマイナス思考だったので、その方に割れて警告を促したようです。

そして、ご本人にこの事を話すと「しっかり納得」されていました。



「勾玉」恐るべしです!


でも、まさかこんな個人の感情や思考のあり方にも反応し忠告してくれるとは・・・

この勾玉の神社の神様のお心遣い、本当にありがたいですよね!


で、気になる神様ですが・・・・



         (-_-)

少し迷いましたが・・・・



発表します!



静岡県掛川市八坂に鎮座する事任八幡宮のいずれかの神様です!(スミマセンどの神様までかは特定できません)


で。事任八幡宮は神秘のゲストブックでも一時期とても話題になりましたね。

そんで、最近では、パワスポとして紹介されているとも聞きました。

で、更に自分が9月に参拝した時は、偶然お祭りでした。(関係無いですが・・・)

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DSCF8710.jpg


兎に角、参拝されたどんな方に聞いても


「空気が違う」とか「神聖さを感じる」とか本当にどんな方でも神秘を感じる神社の様です。


自分的には、太古から続く神聖な場所で、裏の川や隣の山にある本殿(?)と巨石群(まだ行ってない)にはかなりのエネルギーが流れていると感じています。

で、川なんですが、すごくハッキリと太古の人々の波動を感じました。

川の水の恵みに感謝していたのでしょうね。

沢山の人が集まっている様な絵が浮かびます。


あ~。川の波動を思い出してきました。

また近いうちに行ってみたいです。^^


                  END


※事任八幡宮HPです↓

http://www.geocities.jp/kotonomachihime/index.htm

「執着」 再編集版 (^_^;)

パワーの木


今回の精神分析のテーマは「執着」です。 ※(ちょっと思うところがあり再編集しました(^_^;)


「執着」これは、自分自身で気付くのが少し難しい厄介な奴です。


「執着」は、心の動きを鈍く小さなものにしてしまいます。
心の視野が狭くなり、思考が制限されたような状態になると、
物事の捉え方が片寄って、人間関係にも影響が出てきますので、
なるべく手放す方が良いと思います。

お釈迦様も、この「執着」に対しての教えを残されています。



では、簡単に「執着」強い人の傾向から行きたいと思います。
ただ、ここでは「物質」に対しての「執着」ではなく、精神的な方面の「執着」に限定したいと思います。


①自分を特別視している。
②自分自身を強く見せたい。
③自分は、正しくありたい。
④人から必要とされたい。

と、言うような傾向は、「権力」などの人を操作したいと言う現れです。

流れとして、自分は特別だから→人より強い権限(パワー)を持ち→だから正しくなくてはならず→結果、必要とされる・・・はず?

少し強引に「こじつけ」ましたが、思考の流れの例として、書いてみました。

で、こう言う人、結構いると思います。

でも、特別になり人よりパワーがある人になるにはどうすれば良いのか?

特殊な能力を持つしかない!

と、言う事で「霊能」と言う感じに走るかもしれません。(強引ですが(^_^;))

実際に昨日のニュースで「自称霊能者による恐喝事件」が、報道されていました。

本当に酷い話です。こういう事件は昔からありますが、真剣に学んでいる人達にとっては、
本当にいい迷惑です。

が。しかし、霊能と言うものは、自分自身の力で無く「霊的存在」の力を借りているのですから、
人間と同じように「類は友」のように霊能者本人の人間性に寄ってサポートする霊的存在も変わってきます。
元は、人間だった存在から、そうでない存在、例えば妖怪みたいなものまで様々な存在がいます。
そして、簡単に言うと霊能の良い使い方をしたい人には良い霊的存在がサポートして、
悪い使い方をしたい人には悪い霊的存在がサポートしている感じです。

では、良い存在。悪い存在の憑き方はどう決まるのでしょう?

自分の意見は、「潜在的(本質かな)な心の在り方」だと感じています。
いくら言葉で綺麗で良い事を言っても、潜在的な心の本質が汚れていれば、良い存在からのサポートは受けられないと思います。
霊能による詐欺事件が起こる理由です。
言葉巧みに霊的な話で相手を誘導し、信じさせお金を出させるわけですから、本当にたちが悪すぎます。

ですから、上記①~④に書いたような傾向を持つと、そう言う存在を引き寄せる可能性も出てきますので気をつけましょう。


あと、霊能・サイキックに執着し過ぎると「精神が不安定」になって行きます。

よくサイキッカーが能力を無くすと鬱のような状態になると読んだ事があります。

霊能者、超能力者は、自分の能力に頼り過ぎるとこうなるのかもしれません。

また逆に憧れ過ぎるのもしかりです。

兎に角、「執着」は持つと色んなものを狂わせる原因になります。
時々、自己診断をして自分の「心」のケアーをするのが良いと思います。





何故、人を嫌うのか

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人は何故人を好きになったり嫌いになったりするのか・・・

最近気が付いた理由の一つに

自分に都合が良い=好き

自分に都合が悪い=嫌い

自分の利益になる=好き

自分の利益にならない=嫌い

と、言う様に利害関係で結んだ人間関係などは、
意外とあっさり崩壊することに気付いた。

ただ、関係の形は崩壊するが、形を変え「因縁」とか「カルマ」として継続するので、要注意が必要!

そして、自分の周りにいる人間は、自分自身の鏡です。

今、流行りの「引き寄せの法則」で言えば

「全ては自分自身が、引き寄せている。良いとか悪いに関わらず。自分自身が求めた結果である」

と、なる。

これも納得できる。

相手の嫌いな部分も、よく見れば自分自身の内にしっかりとあることに気付く。

その相手の嫌いな部分を見た時に「嫌悪感」を感じるのが、その証拠でその嫌な感情は、実は自分の嫌っている部分に向けられたものだと気付けば、「因縁」「カルマ」の解消への道へとつながるかもしれない。


要するに全の出来事は自己責任で、責任の転換、押し付けは出来ないと言う事だと思う。

夏休みの宿題と同じで、後回しにするほど大変になるので、なるべく後回しにせず対処した方が良いのですが・・・

これが中々難しいんですよね^^

すり返る人

今回は、「すり返る人」をテーマにしてみました。

でも。「すり返る人」と、いきなり言われてもどう言う人か解りませんよね。

簡単に言うと、自分の優れた友人&知人を、引き合いに出して、自分を優位な立場にしようとする人です。
縁も所縁もなくても知ってる人にしてしまう事も・・・

と、この説明で大体分って頂けたと思いますが、こういう人って周りにいませんか?
もしくは、自分がそうだとか・・・(-_-;)

で、ですね。何故このテーマにしたかと言うと
実は、これ結構危険な行為なんです。

何故なら、他人又は、物を使って自分を大きな存在に見せたり、必要な存在、信頼、信用など様々なアイテムを使って相手に自分をアピールしても、所詮全て借り物と言う事を、相手はしっかり認識してしまうからです。
人は、そんなに馬鹿じゃないんです。

そして、信用どころか古い言い方をすれば

「彼は、人のふんどしで相撲を取る人間だから信用できんな」

なんて、事になりかねません。

人は、確かに褒められたいor認められたいと言う願望を持っています。
幼少期は、母親、そして先生や友人に変わり、会社に入れば先輩や上司などに変わっていきます。

しかし、この褒められたいは、満たされない感情の表れでもあるのです。

自分も以前は、こういう事をしていたと思います。
話のネタに凄い友人がいると、なんとなく注目してもらえると勘違いしていたからです。

でも、いざ自分が、こう言う話を他人から聞いた時に「ふ~と」違和感を感じた時この事に気が付いたのです。

「結局、この人自分の話じゃなくて他人の話しかしてないし、言う事もなんだか受け売りで実践にかける人だな」

そして、こういう人ほど、他人を見る目が厳しかったりします。
少しきつめに書きますが、こんな感じです。

批判的で断定的、上下関係に厳しく自分を包容力があると感じている。
他人の話ばかりしてる結果、自分自身が経験豊かな存在だと勘違いしてしまっている。

が、本来は、気が小さく自分に自身がない、弱者(子供や後輩、年下)に強く、権力者に弱い。
正義感も自分よりで、まわりの人の話を聞かないで批判ばかりを言い放つ。

と、まぁ。かなり言いたい放題を書かせて頂き増したが、もしまわりにいたら納得されるのではないでしょうか?

で、なんで今回こんなに激しく書いてるかと言うと、
過去、実際に知り合いにこういう方がいまして、なんでも他人任せなんです。
例えば
「あ、それなら知り合いに言えばすぐなんとかしてくれるよ」
とか
「あぁ。そう言うのに詳しい人間知っるから電話してやるよ」
って、感じで一見凄い人と思ってしまいがちですが、本人自身は何もしていません。
ただ、そう人を知っているだけです。
で、更に紹介した見返りを求めます。
精神的な物も含めて・・・分りやすく言うと「恩を売る」ってこと。

更に、更にそんな風に、毎回。電話で呼び出される人達のこんな思いが聞こえてきます。

「毎回、毎回良い迷惑なんだよなぁ~」

と言う心の叫びに似た声が・・・・

あげく失敗すると全てその人達の責任にしたりします。

あと、これに似た感じで、能力者バージョンもありました。

「私のしってる霊能者の方があなたより凄い!」

なんか知らないけどこんな事を言われた事が数回あります。
または、言葉で言われなくても伝わってくるんですよねぇ。(波動で・・・)
初心者でも、あんたの考えてる事くらい読める能力はあるんだぞ!
と、言いたかったです^^

まっ。それはそれで別に良いけどね・・・


で、自分程度の人は山ほどいると思っていますし、自慢するほどの事もないと分っていますから、
と。言いたかったです(-_-;)

まぁ、でも、この手の話はよくありますから、霊能を目指す方は、いちいち気にしない方が良いです。
言いたい人には、心ゆくまで言わせてあげましょう^_^

あと、霊能に関して少しだけ補足します。
霊能には、ジャンルがあると思います。
感じ方もその人の傾向や系統で変わります。
同じ物を見ても経験や知識などで変わる場合もあります。
だから一概に「能力が優れてる優れてない」と言えない事が多いんです。



と、また少し話がずれましたが、大体分って頂けたでしょうか?


兎に角、今回のテーマの「すり返る人」は、他人に依存する行為へと発展していく可能性も秘めていますので、
十分ご注意下さい。

あと、時間が経つと、その頼っていた人になりきってしまう人もいる様です。

「なりきる人」です。これはもう超やばいです(-_-;)


                        end






人と付き合い方

最近、人との付き合い方が変わってきた。

以前自分は、人と会い会話をしたり、何かをして楽しむのが人付き合いと思ってきた。

今までは、友達がいないといけないとか、会話を面白くさせなくてはいけないとか、
色々---な事を一生懸命してきた様な気がする。

その為に人と会うと小さい嘘や過剰な表現をして、その場の状況を演出してきたが、
その行為にウンザリしてきたようだ。

いや、その行為に気がついたと言う方が正確かもしれない。

で、この今までの行為の代償に気がついたと言う事が重要だと感じた。

人は、会話でコミュニケーションをとっているのではないとも感じた。

皆、波動感覚は持っており会話よりも相手の波動いわゆる感情を感じとって、
その場の状況に反応しているのだと感じる。

こうなると「言葉」は、あるいみ意味を無くしてただの感情を表現するエネルギーになる。

で、言葉として発っせられるとかなり強力な波動のエネルギーとなり、
人の心を捉え、縛りつけて離さないくらい強力になる。
人を操作する道具にもなり得る。

または、心に感動を与え幸せな波動でつつむ事もできる。

よく、自分は波動感覚が鈍いと言うが、それは目に見えないものが見えないとか、
聞こえないからと勘違いしている様に思う。

何故なら感情は見えない。が、感じる事を体験しているはずだから。
感情も立派な波動の一つだ。

そして、皆、他人の感情はしっかりと感じとっている。

でないと他人とコミュニケーションはとれないから。

が、その感じたものに確信が持てないから、人の感情が解らないと思っている。

だが、そんな事は無い。

たいがい、その感じた事は当たっている。

でも、人に「ねぇ。今こう思ってる?」と聞いても「そんなことないよ」と言われ。

(なんだ考え過ぎか)と、思ってしまう。

が、それは、その人が嘘を言っている事が多いのだ。(断言)

現代人は、言葉を嘘をつく道具にしている。

自分が正しくある為に、自分が素晴らしい人間である為に・・・

でも、この自分がとっている行為に気付くと、もうこの行為に意味がない事に気付く(私はだが)

自分が感じたままを表現する事が、自分を育てると気付いた時そう感じた。

自分は子供の頃、「うそもほうべん」と言う、親のつく嘘を観察してきた。

そして、自分も実践していく中で、嘘が普通に付ける様になっていた。

いや。嘘がなければ会話にならないと言うのが、正解かもしれない。

日々の生活の中で、嘘を入れなければ「面白い事」などないからだ。(過剰な表現も)

別に面白くなくても良いのに、そう思いこんでいた。

正直な人は、面白くない。

が、一緒にいると心地良い事が分る。

波動が綺麗だから、または清んでいるからだと感じる。

でも、滅多にお目にかかれない・・・

で、大人はともかく、現代は子供でも見つけるのが大変かもしれない。

波動感覚を正しく学べば(感じとれば)、会話がなくてもコミュニケーションが取れる。

相手の感情を感じるだけで良いから。

なんで?どうして?とか言うその人が何故その波動を発しているかとかは、
関係なくその心地よい波動を分かち合うだけで良くなるから。




最後に。

言葉は、本当に強力なエネルギーだ。(文字も)

これに気付くと慎重に発しなけらばならないと思うようになる。

人を身体をズタズタにできるくらい強いから・・・・

人間関係から学ぶ

他人を見て思う事は、自分にもあると言うが「本当だなぁ」と、やっと納得がいくようになった。
自分的には、少し遅い気もするが何事もプロセスと言うものがあるのだから仕方がない。
他人から受ける言葉や行動からどんな反応を自分がしているかを、感情いれずに純粋に観察していくとよく解る。

そして、現在の自分には、過去の「悪しき状態の時」の自分を見せてくれる人が数多く現れている。
この過去とは、観察できるようになった事を指すのであって、けして自分の「悪しき癖」が無くなったと言うわけではない。
が、しかし。気付いた時点で半分は浄化されたと感じる。

で、今回感じている自分の「悪しき癖」はと言うと。

1.自分が一番苦労人と思う事。
2.誰よりも深慮に物事を考えていると思う事。
3.言葉で人を下卑していないと思う事。
4.誰よりも頑張っていると思う事。
5.自分は誰からも信頼されてなくてはならないと思う事。

と、まぁ。文字に書くとかなり引いてしまう内容ばかりだが、そうだったのだから仕方がない。

で、少し前の「観察できない」自分ならこういう人間に対して、
反感。偏見。嫌悪を抱きながら、目上の人間ならば心の中で罵倒し、年下なら諭す様な雰囲気で自分の愚かさを披露していた。
これは全て「エゴ」が、自分を正当化する(守る)為に行ってくれた行為なのだが、
今思うとなんともいい迷惑だあったと思ってしまう。
で、更に過去の自分の「はちゃめちゃ」な言動と行動を平気でしていた時の頃を思いだしてしまう。

で、こうなる原因の一つとして

「人は、誰でも一生懸命に生きている」と、言う事を無視すると、こういう見方になるのだと気付いた。(自分は)

更に最近では、ずる賢い人も、怠けてる人も、デリカシーの無い人でさえも「一生懸命に生きている」のだと感じる様になってきた。
何故なら、人ぞれぞれ何をするにも自分のしたい事をするには、一生懸命でなければ出来ないと気付いたから。
どんな事でも、やりたい事をやるには一生懸命でなければできない。。
自分で「嫌だな」と、思う事だって繰り返してやってしまうのは、その事に一生懸命なんだと思う。
だから違う方法を考える事すら浮かばないんですよ。
一生懸命だから・・・

あと、人を好きになる事も、嫌いになる事もまったく変わりはない。
好きな事をする時も、嫌な事をする時も同じで、
ただ感じ方(反応)が違うだけで、同じくらいのエネルギーを使っている。

だから感じ方(反応)を変える事にした。

感情で感じるのではなく、魂で感じる。
魂は優劣を付けない、付ける必要がないから。
見たものをそのままを見るだけ。
でも、感情は反応する。
そして、相手に送った感情に対して、その反応にまた反応していき増幅させたり減少させたりして、喜怒哀楽を楽しんでいる。
自分は、楽しんでいないと思っても、実際は楽しんでいる。

で、自分はもうこの遊びは十分楽しんだので、そろそろ終わりにしようと思った。
そしたら、だんだん感じ方が変わってきた。
人から感じる。トゲトゲしい波動も見ているだけならなんにも痛くなくなった。
痛くないと言うか、その相手の波動を捉えると意外と間逆な事が多いのでビックリする事もある。
そう、「攻撃は最大の防御」攻撃的な人ほど弱い者ってのは本当だと思います。

怒りのエネルギー

今回は、「怒り」について書きたいと思います。
「怒り」このネガティブな波動には、大変多くのネガ仲間いて、
連携してネットワークを作り「ネガワールド」にあなたを誘い込むかもしれません。

では、分りやすく自分の体験と言うか経験談を踏まえながら紹介してみます。(上手くできるかな・・)

まぁ。怒りと言ってもいきなり怒り出すと言うのは、少ないと思うんですね。
確かに最近は「キレる」と言う表現が多く使われますが、
この「キレる」にしてもいきなりでは無いはずです。

まずは、「怒り」の原動力と言うか「スターター」の様な存在で、
「妬み」と言う存在に注目してみましょう。
この「妬み」ですが、「執着心」と言う存在とも仲が良いようで、
この二人がタッグを組むともう最高な「ネガチーム」として活躍し自分自身を客観的に見られなくなってしまいますので、気お付けましょう。

で、この「妬み」ですが、自分と他人を比べるのが好きな人間が大好物で、一度。取り憑くと中々離れません。
そして、この「妬み」が育つと「恨み」や「嫉み」と言う大変強力なネガパワーに変身していくのです。(怖!)
では、次に「妬み」のプロセスを少し。
まず、この「妬み」が生まれるプロセスで代表的な状況が、「満たされない自分」が上げられます。
そう。この自分自身の満たされないと思った「不満」が、「妬み」の母なのです。
そして、自分より「満たされているとな」と、感じる人を見つけると「ボン!」と現れ「モヤモヤぁ~」とした波動であなたを包みこんでいくのです。

で、次にターゲットにした相手に対し、あなたの心を執着させ「危機感」や「不安感」を植え付けていくのです。
例えば、自分より能力のある人間を見つけると
「あいつは、お前より先生(上司)に気に入られている。このままだと先生も仲間も皆、あいつに取られるぞ!」
とか
「あいつよりお前の方が、人気があるし実力も上だ。友達もお前の見方だ!」
なんて感じで・・・
そして、この「危機感」などであなたを揺さぶり、あなたの心を追い込んでいくのです。
そして、ついにあなたの心が悲鳴をあげるギリギリのところまで来ると、こう囁くのです。
「あいつは自分自身の行動に気付いていない、その行動は「間違っている」事を気付かせてあげよう」と・・・
すると一瞬、怒りは消えあなたは、その人の為に「善意の行動」とるんだと勘違いします。
そして、「善意の行動」と称した上で言葉や行動を巧み利用して、相手に対して事実上の「嫌がらせ」をしていくのです。
でも、相手はその攻撃に気付きます。
何故なら当然そう言う攻撃を受けた時は、守護存在が危険を察知するからです。
そして、相手は本能的に自己防衛にでるか又は、自分の守護存在により守られ、
あなたの攻撃は、さほどたいした打撃を与える事が出来なかったとします。
するとここで初めて、自分の「善意」の思いが相手に伝わらなかった事に対して「妬み」が「怒り」に変身します。
そして、「怒り」はあなたの行動を讃えます「お前は間違っていない」と。
そして、それと同時に相手を避難し始めます。
「何故、あいつは、お前の善意を無視するのか?何故この優しい思いが分らないのか?」と。

そして、ついに「怒り」は本性を出しあなたを、ネガティブワールドの住人に登録させていくのです。

と、この「妬み」のプロセスに入りやすい例を上げると、こんな感じです。



では、最後に注意点と言うか、こちらで↓自分自身の心のチェックをしてみて下さい

自分を尊重されないと考えてしまう。
自分より相手が優れているのが許せない。
自分より幸せであったり楽しそうなのが許せない。

などなど、「こんな風に思えば、ネガティブに取り込まれて当然じゃん!」と、思うかもしれません。
でも、よぉ~く自分自身の心の反応を観察してみて下さい。

なんとなぁ~く。心あたりって出てきませんか?

もし、心あたりに気付くようなら客観的に自分を観察できてるので、取り込まれる事は無いでしょう(多分^_^;)







自己防衛本能

今日は、「自己防衛本能」と言う厄介な奴について語ろうと思います。

この自己防衛本能って奴は本当に厄介で、上手く付き合っていかないと「親分」である「自分」を差し置いて勝手に物事の分別を決めてしまうんです。
しかも言葉巧みに親分を言いくるめる技がピカイチですからホント厄介です。

で、前回書いた「裏ネガティブな波動」に少し戻りますが、この時の私の思考を操作したのがこの自己防衛本能って奴なんですね。
と、言うのは、まず自分に非がある出来事が起きた場合、最初はどうやってこの出来事を処理しようか考えますね。
でぇ。自分にも非はあるが、以前この相手は自分の非を認めなかったぞ!
とか。まぁこのくらいなら誰でもやってるからいいか!
また。俺はあの時こう考えてこう言ったのに聞かなかった!
などなど。自分をなんとか正当化して相手の非を見つけようとしたり、
最悪。相手を加害者に仕立て上げようと一生懸命ガンバろうとするのです。
で、なんとかでっち上げのストーリーを考えて、相手にアプローチを書けるのですが、
このアプローチのかけかたも巧みです。
と言うのも、この自己防衛本能って奴は幼い頃から一緒に成長してきているんです。
子供の頃って親に「嘘」つきますよね。小さな。
これが自己防衛本能の種みたいたものなんですね。
最初は小さい「嘘」ですが、だんだん芽が出て葉が開き花が咲いたら・・・ってな感じで成長をします。
その成長過程で、上手く行った時の記憶と失敗して「嘘」がばれてしまった記憶などを、
しっかりと採っておきまして、この経験を元に作戦を立てて行くんです。
だから年を重ねれば重ねるほど、「巧み」から「匠」な「業」へと変身していくんですよ。(怖い)
しかも。自分には気付かれない様に小さな小さな声、
まるで悪魔の囁きと言う感じで刷り込んできますからホント怖いんですね。
特に寝る前なんかに行われる事が多いですね^^
で。最終的に乗っ取られてしまうと、物の見方出来ごとの捉え方が、常に自分よりになります。
結果。自己中心的な人間が出来あがると、私は感じています。

がぁ。本当はここで色んな意見を聞きたい所ですが、そうもいきませんので先に進みます。

で、次に「この自己防衛本能って奴をどう扱えば良いかのか!」について書いていこうと思います。

でもまず、この時点で自己防衛本能を自分で認識できなければならないのですが、
では、どうやって気付くのか!気付けばいいのか!
ですが。そう言うキッカケを指導霊などの存在がこれまた巧みに人生のポイント、ポイントに自然な出来事として置いてくれてるんですね。(と。思っています私は)
でも、このポイントで起きる出来事は、人それぞれのレベルによって違います。(だから面白い)
かなり自己防衛本能が意識を操作している人の場合は、相当デカイイベントとして起こると思いますし、
また、そうでない方の場合は、優しく諭すように教えてくれるかもしれません。
これは、ホント千差万別、一概に言えないくらい巧妙に組まれているんですね。
で、それ以外にも人間関係と言うものがあって自分以外の人間から学べる様になっているのではないかと思います。

「人のふり見て我がふり直せ」

なんて、言葉もありますが正しくだと思いませんか?
で、更に人の不幸の中から学ぶ事も出来るわけです。(う~ん。素敵です)

例えば人に不幸が起こった時に笑うのでなく、その出来事から一緒に学んでいく、学ばせてもらうと言う意識があるかないかでは、天と地ほどもさがあります。

そして、この自分以外から学ぶ方法の他に、自分で自分を学ぶ方法もあります。
更にそして、その手助けをしてくれる存在、それが「自己知覚」君です。
もう。この「自己知覚」君は、読んで字のごとし「自分で自分を知る」ただこれだけ。
もう。これ以上なにも書く事がないと言わんばかりです。
兎に角、過去の「賢人」達が言った言葉にありますね

「汝、己を知れ 求めよ、さらば与えられん」

ホントはもっと深い意味だと思いますが、なんとなく意味が通じません?

ま(^_^;)兎にも角にも「自己知覚」がもっとも私自身の経験で大切だと感じています。
そして「自己知覚」を知るには「自己防衛本能」がなくては気付けないという二極性もある訳です。
そう。この地球と言うシステムは、アインシュタインが唱えた「相対性」いわゆる「二極性」というルールがあるうんですね。※(ここ微妙ですが許して下さい^^)
男・女。良い・悪い。天使・悪魔。光・闇などなどの相反するものがあって、その存在価値を知る事が出来るんです。

と、言う事で今回は私なりの「自己防衛本能」のお話でしたEND


PS
ふぅ~。なんか今日は良い感じで書けてる感じがしています^_^;
この屁理屈の様な私のお話を最後までお読みになって下さった方に「感謝」します(^_^;)


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kodama

Author:kodama
思った事を、感じたままに書いていますので、言葉に語弊を感じるかもしれませんが、
あらかじめご了承下さい。

※書いた記事は、途中で編集することが、多々あります(・_・;)

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