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カジノ法案

カジノ法案について。

可決してしまったカジノ法案、通ってしまったモノはしかない。
どうしても、通したい人々の力が勝ったということだ。

兎に角、この国は、お金の運営が下手すぎる。

更に、中心部だけでないく各都道府県に実在する裏のドン的存在も多いので、大切な血税はそんな輩の餌となりさらに肥え続ける。
この手の人間は、自分の知る限り、老人介護や病院など〇○会と称し、国、県、市などから助成金などを受領し至福を肥やしている輩が多い。
従業員に十分な報酬を支払わず、自分たちの娯楽施設を施設の内外に作ったり、仕事もろくにしていない息子が高級車あたえられ、それを乗り回していたりしているのを、目の当たりにしてきた。
こんなのは、一部だと思ったら大間違いで、全国各地にこのような輩はいるし、地域の建築業者の人間ならだいたい知っている。
理由は簡単、この手施設ばかり請け負う建築業は、確実に団体との癒着があるからだ。

もちろん、このような連中は介護関係に限らない。

宗教法人も天下り先として作られた団体組織も、表とは違うか顔を持っている。

だが、これらの不道徳分子の時代は、そろそろ終焉をむかえるだろう。
なぜなら、裏のドンの貪欲で権力への執着の力が強過ぎて、部下や手下の心が離れつつあるからだ。
一昔前なら、部下や手下を大切にしていたが、今のドンと呼ばれる人間にそんな心は無い。
だから、統制のとれた常識ある善玉組織が現れれば簡単に崩れる時代になりつつある。


このカジノ法案を危険視するのは当然だと思うのだが、この法案を通す側の力は,
ある意味強大なので、この力を使ったことを逆手に取り、他の不正を焙り出す素材として使えば良い。
お金の集まると所には、必ず亡者が集まる。 
これは、亡者の習性のようなモノなので、反対派はただ反対するのではなく、この法案をどう活用するか軌道修正すれば良い。

そして、ギャンブル依存症などの心配もしているが、カジノに出入りする場合、独自のIDを作りカジノの使用頻度や勝ち負けの状況など、トラブル防止処置として実施すれば、カジノの運営や使用者の状況、状態も把握できるし改正や改修する部分も見えてくるのではないだろうか?




カジノの収益の運用。

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カジノでの勝ち分1000万円まで10%を各施設・災害地などへの寄付か所得税として徴収する。

1000万円~5000万円以上は20%を各施設・災害地などへの寄付か所得税として徴収する。

それ以上は30%を各施設・災害地などへの寄付か所得税として徴収する。


寄付をする施設や地域、団体は、自分で決めれるが、架空施設や営利目的の施設・団体など不正に関与もしくわ使用されないように、施設や団体は事前に審査し登録してから登録制にする。

そして、カジノで遊ぶ場合は、身元を明らかにする身分証明書を別途発行し、勝ち分を寄付か納税かを事前に決めて登録しておけば換金時スムーズに徴収できる。
もちろん、途中で寄付をする先を変更することもできる。

ただし、寄付をする施設や団体が過剰に集中した場合に備え、年間に寄付される限度額を決めて、それ以上の金額になった場合は、
所得税とするか、他の施設団体にへの寄付とし、寄付金による不正や事件を防止する。

寄付された施設・団体の運営状況はすべてHP上で公表する。

寄付を希望する施設・団体は、厳正に調査して登録されるように義務付け、こちらも誰でも閲覧できるようにする。
寄付された金額も随時公表し、運営に必要以上の金額が集まった施設には、助成金や補助金の支給を制限する。

寄付を受けた施設や団体の不正を監視・監督する機関を施設・団体の内外に設ける。

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新しい時代が始まる。

今まで、人は自分自身でモノを考えて行動していると思っていたのですが、
どうもそうではないらしいと、思うような気がしています。
例えば、食べ物の味について、7割~8割の人が「自分は味がわからい」という言い方をします。
それほど、味覚に自信が無い人がいるということに驚きますが、五感に関して日本人は鈍感になっているように感じます。

例えば、音(音楽)に関しても、匂いやモノを観る目や肌触りなどの触覚など、全てを他人からの情報に頼る傾向があり、自分自身の感覚でモノを言えない人が多いと感じます。

ただ、自尊心に関わる事や損得に関することに関しては、過敏すぎるほどの感覚で反応します。
特に小さなプライドを大切にして生きている人間は、いかに自分を大きく見せるかにこだわり、他人の自尊心を潰すことに終始する愚かさを、正当化して生きています。

しかし、このような人間ほど、「世の中の動き」=「流行り」などに自信が無いので、ネットなどの情報に左右されやすいと思います。

これは、ネットいうツールが自分で考えなくて情報を与えてくれる事に慣れすぎて、人間の思考を麻痺させているだと思います。

で、ネットの情報の信憑性を鵜呑みにする安易さ安直さ。これは、これらの情報を真実として他者に発信する無責任な言動、行動を見ても分かると思います。

そして、このような現代人の性質を見抜いてる人達が、いまの流行りを造りだし成功している言われているのかもしれませんが、この流れにも盲点があると思います。
その盲点とは、現代は暴露の社会であり、真実を深く求める人々が生まれ始めている世界ですので、表面的なモノはいずれ見抜かれ本質を持ったモノだけが評価されると思います。

全てのモノに対して、今後の評価は厳しくなりますが、「真実」が本質にあるモノに関しては、心配ないでしょう。

この真実とは単純明解で、その人の信じる「真実」が「愛」から来たモノか「不安」から来たモノかで決まります。

例えばラーメンの味で言うと、本当に安全で美味しラーメンを提供したいと言う「信念」で作ったラーメンと、
利益重視で従業員やフランチャイズ加盟者の生活、利益より経営者の利益が優先され、店舗の外装、内装にこだわるが、お客に提供する食材にこだわりは無く、化学調味料で調整されたスープでお客をもてなす。
全てが偽りなので常にばれるのでないかという「不安心」が心の奥底に付きまとい、感の良い従業員は食べたがらないので、いずれその心理はお客に読まれ人々は離れていくでしょう。

実際に、大きなショッピングモールなど、飲食全般を含め、それ以外の店舗(特に衣料関連)などでも、あんなに集客面で好条件にも関わらず入れ替わりは激化しています。
しかし、これは、チェーン展開してる店舗に限らない。

そして、これからは、「人」としての質の面も重視されてくると思います。

なぜなら、すでに利己的な企業や個人は、このことに無意識的ですが気付きかけています。
その理由として、真実を見る「目」が人々の心を動かし初めているからです。
理不尽ことをしている企業や個人に対して厳しい目で観ようという働きは徐々に目覚め出しています。
そして、その眼力は利己的な人間の力を過ぎ落とします。
特に自己利益重視の権力者や実力の伴わない管理者、上司、個人事業主も、この眼力の射程内の範疇に入っています。

自己の尊厳と言いう、どうでも良い自尊心に執着している人間は、自分が他者に与えた不のエネルギーが自分に返ってくるということを見逃しています。
それは、自身の考え方や言動、行動を観る目が自己利益に片寄るあまりに監視する事が出来ず、観る範囲も狭過ぎて全体を見渡す大きな「心の目」を持っていないからです。

この慈愛の満ちた目を持たない人々は、不慮の出来事を自分以外に求めます。
しかし、不慮の出来事の発端は自分自身ですから、見つけることが出来ません。
そこで、適当な人間を見つけて責任転嫁を始めていたのが、今まででした。

しかし、今後、このような行動はできなくなります。

なぜなら、これからの時代はいく自分の非業を画策し誤魔化そうとても、自分から発信されたモノは、そのまま自分自身にダイレクトに戻ってくるからです。
その証拠に、少し前ならバレないと思って安易に悪意ある誹謗中傷を目的とした投稿していたネットの掲示板などでも、少しパソコンができれば本人を特定できようになり、卑劣な行為をすれば住所、氏名、仕事や家族構成まで公表されるからです。

なので、自分の考え方をしっかり吟味して出すように心がけないと、今までのような責任転嫁や悪意に満ちた行動は、とても危険な行為となるので要注意です。



こんな状況で・・・。

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今に始まった事ではないが、今日本の建築業は、かなり危険な状況下にあるという。

大手ゼネコンなど大金の集まるところでは、入札さへクリアすれば自分達の取り分をゴッソリ抜いて、下請けに丸投げし、その下請けも更に下請けへと丸投げ、これでは実際に作業する人達の給料は労働と釣り合わない。
なぜなら、実際に作業も管理もろくにしない人間が、手数料と称し金だけ抜き取っているからだ。

では、なぜこんな、不釣り合いが起こるのか?

一番は、天下りで降臨した人間の力が大きい。
彼らは、自分の使える力を理解しているし、誰をどう使えば良いかを熟知しているので、天下り同士が連携を組むことで、自分達の利益を保持し、利益のバランスを取り合うことでけを生きがいに生きている。

だから、建物がどうなろうが関係ないし、作業員の報酬など全く考えていない。

更に、自らの利益を優先するので、作業者の事など全く考えないで、工程を決定させる。
自らの利益が多くなるように、工程を組ませ、先に自分達の利益を優先し、あまりを下請け業者に「これでやれ」と言う。
だから、実際に建物を建てる作業者達に回る金額は、労働に見合わない金額になる。
こうなれば、当然のように作業に支障が出てくるのは必然になるから以下のようになる。

下請けは金額が合わなければ、作業人数も少なくなる、工程が遅れる、作業工程に無理が生じる、工程の不備が見つかる、やり直すか隠ぺいする、工期が迫る、施工が雑になるが皆が見て見ぬふりとなる、見えない部分天井内や壁の中はグチャグチャに配管・配線となり、必要な点検などできない場所が、そこかしこにできるのが状態になっている。
だが見えることろだけは綺麗に収める。

と、これが、多くの建設現場の現状だと言う。

知り合いの働く建設現場では、現場の状況を把握できない大卒の監督に、現場作業を知らない上司が職人を見下しながら歩き回り、不備が起これば職人に泣きつき、事が収まればどこ吹く風らしい。

更に、追加工事の金もほとんど支払われない場合などざらだと、聞いた事もある。
事故も大抵は、無理な後期日数による過重労働によるものだったり、無理な状況下での作業の結果の場合もあると聞いた。

ここ数年は、そんな出来事のオンパレードなのに未だに、この時代の流れの変化に目をそらし続けると、今まで以上の罰が下るというのに、何の苦労も、大した労働もせず、ただただ自身に入る金と権力だけを気にかけているだけの人間に、なぜ金が集まるシステムを放置できるのかがなぞだ。



また、これらの不義をマスコミは話題になるかならないかで取り上げるかを決定する。
で、少し盛り上がれば、すぐに新しい話題を探し求め皆一斉にに飛びつくのも悪い癖だ。
だが、建築現場の現状を報道することはあまりないのは、どこかが圧力をかけているのだろう。


少し前に、天下りの問題が出て、少しは良くなるのか?と、期待してしまったが、結局はどこかに行ってしまい、いまだに天下りの政治家や官僚達に税金をむしり取られている。
もっと、天下りの実態を突き詰めて、この不道徳な状況を完全に暴露して、有無も言わさない証拠を突き付け、天下りシステムを無くさなければ、ギリシャのように破たんも夢ではなくなるだろう。
更に、先に書いた。公共事業での大手ゼネコンによる「お金の分配バランス」も、見直さなければ、これから先、日本の建物は欠陥だらけになと予測する。
なぜなら、建築現場は人材不足から人材育成に時間もお金もかけられないし、工期も短くあまりに過酷な現場が多く、現代の若者は賃金も労働と見合わないことから続く人がいない為、外国人労働者に頼ることになるからだ。
また、人間の質も落ちていて、丁寧に仕事を教える事が出来ず、乱暴に人を扱う為、人間関係の不調和が問題になっているそうだ。
まぁ、簡単に言うと、「大人のイジメ」だ。

この不の力は、立場の弱い人間に集中する。
すると、何でもかんでも、問題が起きれば彼らが攻撃の「的」となり、現場全体の空気が淀む。
本来なら、監督らがそういう状況を察知し、原因を見つけ出して、状況改善に努めるべきなのだが、そういうまともな考えを持った人間は少ないようだ。
また、元受と業者の癒着も有って、自分に都合の良い業者の作業を優先し、現場の進行に支障がでるのは茶飯事だと言う。

これが、全ての現場では無いと願いたいが、彼らのような人間のいる現場では、施工不備が多く日本人同士のトラブルも解決できない為、そこに外国人が加われば問題の悪化は避けられないだろうと聞いた。

更に、工具や資材の盗難が起こることがあり、現場ではセコムなどに防犯を頼むケースもあそうだ。

この問題は、4年後のオリンピック施設の建設に大きな影響が出ると予測される。

なぜなら、これらを仕切る人々の性質が性質だけに、なんでも自己利益から計画が進行していくことが、安易に予測されるからだ。

そして、問題が起こる度に、現場が止まり後期が短くなり、突貫工事で24時間労働を余儀なくされた挙句に、賃金未払いという下請け、孫請け、ひ孫請け業者が出てきて、華やかな舞台裏で倒産、失業というマスコミにも取り上げられない人為的被害の犠牲者が排出されることが無いように、祈るばかりである。

この国の行く末。

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ここ数十年で、道徳心を子供に教えている大人は、激減している。
その証拠に、国民のお手本とならなければならない、公務員の汚職事件があまりにも多いことが、これを証明している。

更に、政治家は未だに金と権力に執着している人間が多くのさばっているし、官僚なども「同じ穴の貉」だ。

しかし、こんな状態でも、一部のまじめな人間のおかげで、なんとか回っているのが今の日本の現状で、それももう長くは続かないだろう。

更に言うと、大手企業も同じで、トップ達と平社員との差(給料)は大きく、能力よりも学歴、実績よりも派閥と言う矛盾、極まりない能力査定の選定基準に対し、本当に能力や実力のある人間は嫌気がさしている。
なぜなら、高学歴だからといって、能力が高いかといえば、そうとは言い切れない事の方が多いからだ。
そもそも、今の会社で適材適所に配属されることなど、ほんの一部の会社以外にないのではないかと思えるくらいだ。

この原因は、「人を見る間がない」と言いたいが、今は「人を見極める気が無い」という言い方の方が合っている思う。

そして、この流れ(考え)は、中小企業の中途半端な経営者にも浸透している。
この中途半端とは、創業者でない場合が多くを占めるのだが、こういう苦労の少ない人間は、大手企業のマネをしたがるからだ。
例えば、大手が役員の残業を付けないからと、うわべだけのマネで残業代をカットしたり、能力に見合う権限を与えなかったり、ただ出社しているだけのトップクラスの人間の方が報酬が高いなど、明らかにおかしな基準で能力査定をしているからです。

これは、創業者が一代で大きくした企業によく観られる光景だが、二代目、三代目になると、会社の基本体質は大きく変わる。

創業し会社を軌道に乗せるまで苦労を知らない二代目、三代目(それ以降入社した社員達も含め)は、はなから社員を自分の子分と勘違いしてる場合が多く、会社を支えてきた先輩達を見下している。
更に己の能力を学歴と照らして過剰に評価したり、自分に集まる周りの人間の能力を自分の能力と誤信したりする。
この周りに集まる人間での誤信は、心の弱さのようなモノなので、あらゆるところで行われている。
解りやすいところでは、芸能界などだが、自分の身の回りでも自分の知り合い自慢する人間はいると思う。
が、この手の人は、自分を大きく見せる為に、他者を利用している事がいかに他人から見て、下卑た行為なこかなど解らいのだ。
しかも、他者がこういう行為をすると、徹底的に攻撃るすので、不思議だ。
悲しいことに、これら誤算や打算多い、人間は弱肉強食と言う一昔の観念に捕らわれており、今変わりつつある世界を観る事が出来ない。
なぜなら自分を生きた経験がないからである。
自分の能力を過剰に評価するあまり、人の意見を聞かず、己と違う意見を嫌い、YESマンを周りにはべらせて優越感にひたり、まじめで勤勉な社員から見放され、会社が傾き始め、彼らが愛想をつかせ会社を去った後に己の身の丈を知るのだ。

媚びてのし上がった無能な役員や社員は、会社よりも自分の保身の事しか考えないから、自分が生き残るためなら潰れる前に手を打ってあるだろう。

また、上層部がそんな人間ばかりだと、仕事を進めるにも責任転換ばかりで、誰一人ケツ持ちをする人間がいない為に、新しいことができなくなり、会社は衰退の一途をたどる。

その代わり、経営陣は利己的計算で打算の多い計画を、無責任にも推し進める。
結果、売り上げは落ち、負債は増え、下層部の管理職や現場に近い社員の責任にされて、降格、解雇、左遷を宣告される。
で、あとになって経営状態や会社体質が暴露され、残された社員は、はじめて己の会社の実態を知るのだが、そこまで酷いことに最後まで気づかないとは到底思えないので、ことなかれ主義の日本人特有の体質が招いた不運と言う事だろう。

だが、上層部のホントに悪いやつらは違う。
もうこの会社からお金は搾り取れないと、見るや否や、彼らは数年前から退職の準備に入る。
そして、高額な退職金を手に入れる為に、あれこれと思案して、満面の笑みで会社を去るのだ。
そうとも知らずに、会社を潰されたり、売られたりした一般社員たちは途方に暮れる。
なんとも、悲しい出来事だが、数年前、大手百貨店はこれを難なくしてのけた。


また、政治の問題は、金と権力にまみれた問題にも、いい加減うんざりだ。

舛添氏の問題でも、あんなちんけな人間が起こした「横領」とも言えない問題より、それらを許していた都議や職員の実態の方が重要で、ある意味、このちんけな事件で、そこに踏み込める糸口を、舛添にだけ焦点をあてることで、うやむやにしようとする人間の思うつぼな方向に転じつつある。
今回の都知事選で、次の知事がこれらの問題を暴露するかも微妙で、今は選挙の行く末を「黒幕」どもは見守りつつ、自分達の悪事がばれないように、水面下で画策しているのに、公約も政策も曖昧な候補者の宣伝活動に貢献してる各メディアには、ほとほとあきれる。


この国は、正しいことや道徳心を堂々と言う人間をとことん嫌う。


その理由は、政治家を筆頭に、大にかかわらず小でも企業の経営者達は、金と力を欲しがる輩が、まだ多く存在するから。
なぜなら、正しいことをしていたらお金が稼げないというシステム(税金)に国がしたからで、このシステムをうまくすり抜け自分の利を増やすには、倫理に反したことしなければ、稼いだモノが減るという簡単な計算で、不正をしてしまうから。

ただ、この税金と言うシステムは、使い方よってはとても素晴らしいシステムなのだが、過去の金と権力にまみれた政治家達のツケと、現代の政治家達の勘違い政治が税金を負のシステムにしてしまった。

過去の政治家は、税金を自分達に集める金と勘違いしてた。
そして、権力に群がる輩に仕事が欲しいと言われれば、税金では足りないと言い借金をしまくり、公共事業などは官僚達に丸投げした結果、官僚達も税金で至福を肥やすようになる。
その結果、官僚達は、自分を守るため、政治家に真実を伝えず、いつしか政治家を操る存在と化した。
そして、現代の政治家は、そのシステムを見て見ぬふりをして受けいれることにしなければ、何も出来ない存在と化す。
そのおかげで、当選さえすれば、国民に何を言われようとも、官僚たちがなんとかしてくれるし、ある程度の権力と金が手に入るからだ。


多くの国民が、まじめに働いているのに、その利益をかすめ取ることしか頭にない人々は、なにが正義で、なにが不義かを理解できない。


が、時代は変わりつつある。
無意識から意識的に生きようと、シフトしている人々がここ数年増加している。
また、はじめから意識に目覚めて、生まれてくる子供も年々増加しているのも頼もしい。

意識を目覚めさせた人々は強い。

なぜなら、小さな固定感に縛られないから、広い視野でモノを観る事が出来る。
欲と言う利己的な考えも無い。
歴史は覚えるモノではなく、学ぶモノだと理解している。
全てを分かち合う心を持っている。

彼ら(彼女ら)は、閉ざされた世界から、開かれた世界への道しるべだから・・・。
 


輪廻転生を信じるか・・・

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輪廻転生を信じるか?と言う質問を受け「信じる」と答えると、死んだらどうなるかと、当然の質問を受けた時の話。

まず人は死ぬと、霊界に入るそして、今生を高速で振り返り反省?
で、待機エリアみたいな所で、次の「生」でのテーマを決め、次ぎの生に備える。
待機期間は、全ての条件がそろえば最短で死後数日で転生できるみたいだけど、そうでないければ条件が揃うまでいつまでも待ち続けるみたい。

で、この時、今生に未練を残すと、自分の放つ未練のエネルギーに引き付けられ成仏できず、現世と霊界の狭間で漂うこととなり、時々写真に写って心霊だ幽霊だと言われる存在と化す。

で、この未練は、主に「好きだった人、家族」や「完結できなかった事」などへの未練だが、最悪なのが恨みツラミと言う「怨恨」を根源にするものでの不浄仏。
これは自分を苦しめるだけで、現世と霊界の狭間でいつまでももがき苦しむことになるので、速やかに浄化し成仏することを進めるが、ほとんどの場合自力での成仏は困難を極めるようだ。
運が良ければ、霊感の強い人に見つけられて、成仏させてもらえる時もあるが、無ければ出会うまでさまようこととなる。
なので、生前から死に対しての勉強をしておくと良いと思うし、最近は終活と言う言葉があるようだが、死に対しての認識を高める言葉として使う方が良いと思う。
まぁ。葬儀も商売の一つだから仕方無いとは思うが・・・。

また、怨恨の不浄仏の場合、怨恨の原因となった側に罪悪感が有れば、不浄仏霊と化した者(幽霊となった人)と波長が合いやすく、お互いを引き付け合って、怨恨のエネルギーを送り続ける負の連鎖が始まる可能性があるので注意したい。
こうした場合は、生きてるとき同様、お互いの非を認め、お互いを赦し合うことが、浄化の役に立つが、これを実践できる人間と霊はほとんどいないので、生きてる側が対処するのが一番早が、悪質で低能な霊能者には注意が必要となる。



で、次に、転生するのは「人間」だけかと聞かれたが。
これは、ちょっと、複雑な問なので、なるべくかみ砕いて答えることにしたが、やはり難しい。


転生とは、魂が無ければ転生できない。

自分の認識でいう魂は、神、仏、宇宙全体を包み込む存在で、我々はその魂の一部と言う認識と認識している。
そして、その魂は、ある意味分裂することで、「他」を知り「自」を認識できる存在になり、元は同じ魂だが違う魂と言う認識ができるようになって、相対性を意識できることで「ここ」と「あそこ」「男と女」「生と死」を体験できるようになった。

しかし、この概念は、地球上では人間だけが認識し体験できるが、他の動物はここまでの認識を一部の哺乳類以外は持っていない。
これが動物と人間の大きな違いだ。

この意識する能力が人間を飛躍的に成長?させたと思う。

意識は過去・現在・未来を創り時間と言う概念も生んだ。
この概念があることで、人は知識と経験を時空を超えて使える事ができるのだ。
この時空を超えてと言うのは、魂の能力によるもので、意識的にできる人間が超能力者とか霊能者と言われる。

だから、人間だけがモノを創りだしたり、言葉を話し、五感と呼ばれる機能を他の動物より複雑で繊細に使うことができる。
これは、魂に意識がプラスされたことにより、過去生の記憶をDNAに潜ませることで、認識力が上がり他の動物より進化?した行動を可能している。

この「意識」が五感と連携して、多種多様なモノを創りだしたり、あらゆる行動の手助けをしている。

動物は存在すること「生」を主としているので、五感を「生存」の為に集中して使うが、人間は五感を「楽しむ」為に使う。

美を楽しむ「目」
音を楽しむ為の「耳」
香りを楽しむ為の「鼻」
モノを味わい歌を歌うための「口」
ふれあい、快楽を楽しむ為の「触」

と言うように、現代人は五感を発達させてきた。


そして、六個目の感覚「第六感」を忘れてはならない。
この感覚は、全ての動物に備わる感覚で、人間は五感だけに捕らわれるようなり、この第六の感覚を信じなくなった。

しかし、動物たちはこの感覚を今も最大限に活用している。


その証拠に、地震や津波と言う自然の大きな異変に気付く事が出来るし、危険を察知し捕食者から身を守ることもできる。
逆に捕食側は、第六感を駆使して、捕食される者の動きを先読みして、捉えることができる。


更に、この捕る者、捕られる者の間に「怨恨」は無く、自然のサイクルとしてバランスを取り合っているのだ。


で、残念な人間は、第六感を霊感だの超能力だのと、一部の人間しか使えない能力だと勘違いさせられ、特殊な人間に従うことを選び、後に彼らの能力に嫉妬し妬み迫害し殺すのである。

なぜなら、自分よりも能力の髙い者を、脅威と感じるという歪曲した概念を刷り込まれた時代(過去)があるからだ。
この「ねじれた概念」に気付き、自分達の真の能力に気付けば、嫉妬や妬みに縛られず、第六感を呼び覚ませば「六根清浄」が言う


           「五臓の神君安寧なるが故に天地の神と同根なり 天地の神と同根なるが故に万物の霊と同体なり」 


「ごぞうのしんくんあんねいなるがゆえに てんちのかみとどうこんなり  てんちのかみとどうこんなるがゆえに ばんぶつのれいとどうたいなり」


となり、元は同じだが、その元から生まれた「バリエーション」だということに気付く事ができるのではないだろうか?


こうなれば、お互いを尊重せづにはいられなくなる。
なぜなら、自分も相手も同じなのだから、相手を傷つけることは自分を傷つけるのと同じ事で、そんなことはできないと気づけるからだが、これを認識するのは、この事実に意識を向けなければならず、頭で認識しようとしても無駄な概念なところが厄介だ。



人間は、概念(物事への意味)とか観念(イメージ)を、自分の意識次第で変える事が出来る。


人間の「身体」は物質で、「霊体」(精神とか心)は体を創るひな型(DNA)と過去世の記憶を一部含んだもの、「魂」は万物の始まりから終わりまで全てを含む全てで、その一部を分割し「身体」と「霊体」を包んでいる。


で、この三位一体(三位合体?)を達成して「悟り」となるが、ほとんどの人が「身体」と「心」しか認識できていないので、世の起こり(出来事)は不調和になるのだ。





人間をPCに似ていると言うがまさにと思う。
人は、変わろうとする時に新たなOSをダウンロードして、意識というソフトをアップグレードしていく。
そして、魂と言う外付けのHDDに蓄積されたデータ(記憶)から、高度な智慧を引き出すことができる。
でも、OSが古いままだと、対応ができないので、いくらダウンロードしても理解できずにバグを起こすのだ。

また、あえてアップグレードせずに、古いOSのままでいる人々もいる。
これは、時代の流れに、恐れを感じたり、周りの変化に逆らってしまう人々だが、生き方は、その人の自由で進む速度も自由で選択は各個人に任されている。

これが「宇宙」の法則だが、いつまでも進まないわけにはいかないので、いずれは皆同じ場所に行きつくことになる。

それを、同じ「同根」である者同士が「魂」のレベルで切磋琢磨して、お互いを尊重し引き上げているのが「今」なのだと思う。

今とは、現在も過去も未来も全てが「今」であり、それ以外は存在しない。

現代版の解説では、全ては、「今」起きていると、ディーパック・チョプラ氏は、丁寧に説明している。
過去の日本では、空海=弘法大使が、全国で奇跡を起こし日本人の心に刻みつけた。
宇宙最高の経典であると言われる般若心経も「無」と「空」で、人の心と身体に語りかけている。
名も無き仏陀達は、これらの教えを、根気よく説いてきた。
今も多くの「師」=「マスター」が、人々の意識を通して語りかけている。
にもかかわらず、これらの教えに耳を傾ける者は少ない。
その声を聴くかどうかは、自分次第、行きつく先は同じ、ほんの少しでも聞く耳を持つことで、空間の広がりを経験できるのに・・・。

謹賀新年

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                   平成28年元旦 事乃任八幡宮


初詣の神社参りで時感じるのは、「願う」より「祈り」の方が、しっくりとした感じがする。

「願い」は欲するから、叶いにくいような気がする。

祈りは、捧げるもの、「捧げる」は=「与える」と同じ事。
「祈り」=「与え」たものは、発した者へと帰ってくる性質あるので、叶いやすい(?)気がする。


だから、祈るなら、慎重に選択したほうが良いと思う。
そして、何に祈るかも、慎重に選択するほうが良いと思う。
さらに、自分が、どんな祈りを選ぶか慎重に観てから、祈るともっと良い気がする。

貪瞋痴

貪瞋痴

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自衛権?

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集団的自衛権容認についてですが、自分的には、今まで通りの茶番劇だと思って観ています。

と言うのは、これに限らず、今までの政府は国民が反対しとしても、どんな法案も通してきたからです。

なぜなら、今回の人類は、支配する側、支配される側の分離主義が基盤となっているからです。

支配する側は、その時、その瞬間、したい事をする、出来るのが支配者だと思っているから。

国民が反対しようが、デモで対抗しようが、それに屈すれば支配者では無くなるからです。


これは、紀元前の数万年前から、この基盤は変わっていません。


支配者側は、支配を目的として生きる糧を得て生きています。
で、支配される側は、支配される事で生きられると受け入れてしまいました。

そして、なにが善で、なにが悪などと言うことは、表面的な議論で、本質に触れた事はありません。
だから、数千数万年経っても、「戦争」が無くならないのです。

で、今回の自衛権は、次の戦争への準備だと、観るのが自分の見解です。

国際社会になり、インターネットで全世界が繋がり、情報が簡単に手に入るようになり、多くの人々があらゆる情報を知ることが出来ますが、そこに真実が無くても、真実される情報も多く存在します。

そして、その改ざんされた情報の流れを、利用することも、支配者達は学びました。

それは、過去の戦争の反響を、先進国と言われる国々のトップと思い込んでいる人達は、どう使うかを模索しています。


特に戦争をしかけて、負けた時の代償の重さをです。

で、次に、戦争をする時は、全世界に自分達の国は、こうこうこう言う理由で、こう言う法律を作り、それに則った上で戦いますと宣言することで、例え戦争で一時だけ降伏したり負けを認めたとしも、その後に相手国の不の道理を訴え、逆にその代償を請求できる為の備えをしているのだと思います。

実際に、いまでもそれを実行してる国もあります。

他国の領土を、自国の物とし、資源を我が物としようとする国のことは、先進国の人ならほとんど知らない人は居ないでしょうし、偽ブランドを平気で売りさばく国を知らない人もいません。
食べもに対しても、人体への影響を無視して、生産し輸出する国も有ります。
企業の技術の平気で盗みますね。

これは、奪われたり、有害な食料品を送られた国の国民や企業や従業員に重多大な損失を与えています。

で、その後にサイバー攻撃など、陰険な手段も平気でやってのけるのですから、ここで「楔」を打つ必要があると、先進国で表面的に友好関係にある国どうしは、威嚇する必要があると、考えるのだと思います。

日本は、集団的自衛権を作って、友好国との連合を表明して、アピールしていると言うのが、自分の見方です。



過去の支配者は、国民を無視し、国益と称して、自分の私腹を肥やす為に、戦争をしてきました。
この支配者には、政治家以上に、財閥(富豪)と呼ばれた人々の方がはるかに力を持っていた事を、殆どの人々のは、知らされていません。

そして、未だに、この人々によって、あらゆることが操作されています。

さらに、この図式は、国々だけでなく、会社という一見違う集団と思われるコミュ二ティーにも、影響を与えています。
企業戦争と言う少し古い言葉に感じますが、未だにこの戦争は続いていて、自社(己の利)の利益しか考えられないトップのいる会社は、平気で社員を路頭に迷わせていますし、
社内でも、自分だけは生き残ろうと、奮闘する人々が、会社を居心地の悪い場所にしています。

しかし、なぜこうなのか?
それは、人に不安を与えることが、支配する側に有利に働く事を、彼らは知っているからです。

金や雀の涙ほどの権力を与えて操作したり、神や仏を使い人々を支配して、それでも言う事を聞かない人々は殺害し、見せしめにして人々に恐怖を与えて操作してきました。

と、こういう書き方をすると、オカルトのように聞こえるかもしれませんが、これは紛れもない事実で真実です。

多くの人々は、物事の真実を観ようとしません。
なぜなら、真実を知ると、自分に責任が発生するからです。
今まで、正論を唱えて、報われなかった人々を、沢山見た来た人々は、善悪の基準は自分の利益を基準に選択しています。

でも、悪い事は分かっています、もちろん正しいことも理解しています。
ただ、権力に対抗して、打ちのめされた時の代償を知っているから、「見ざる言わざる聞かざる」がベストと本能的に考えてしまうのです。

これは、全ての人々のDNAに記憶されています。
だから、世界が平和だったことが無いのです。

でも、つかの間の平和は、感じる事が出来ます。
そらは、これらの事と柄と切離れている瞬間です。
何かに夢中になってる時だけは、混沌とした世界から解放され、本当の幸せに触れることが出来ます。

ただし、それに気が付いている人は、極々少数ですが、彼ら(彼女)だけが支配者の天敵です。
この今は少数ですが、増えつつあるのが、今の時代です。

支配者と戦わずして、勝利できるのは、彼らだけです。

なぜなら、彼達は支配者たちと精神的に繋がっていないからです。

彼らの考え、言葉、行動に一切反応しない事、それだけが唯一の武器です。

欲しいと言われれば与え、全てを差し出せる欲の無い精神が、最強の武器であると知る人は、本当に強い人だと、歴史も証明してきました。
でも、彼らは、それを言ません。
なぜなら、これらを理解できる人にしかこの武器は使えないからです。

本当の力に、お金や権力や物質は、関係無いんです。

なぜなら、それを信じている人(信じ込まされた)にか通用しないからです。

だから、子供や今でもジャングルや秘境に住むと言う部族には、契約書などただの紙です。

でも、大人になるにつれ、これらを常識と教えこませれば、契約に縛られます。

部族には、電気を与え、古い家電を与え、文明の力を見せることで無欲から切り離せます。

そして、部族の若者たちは、自然への崇拝は薄忘れ、文明社会に心奪われ、物欲に飲み込まれ、安い賃金で支配されるんです。



ただし、この様な時代は、もう長くは続きません。
近い未来に、これらを一掃する出来事が、起こります。


なぜなら、今、人々の精神は、崩壊寸前です。

自衛権の問題も、尖閣の問題も、その他世界中で起きている社会的な問題も、今まで考えられなかった様な身勝手な事件も全て予兆です。

全てが、明らかにされる世の中が来る前兆として、人間の精神に「不安」が充満し溢れているのは、意識への変革を助長しているのだと思います。

善悪の判断を無くして、真の自分を理解し、善だけを自然に選択できる為に、不安と言う負の感情を真剣に味わい、不要な感情だと理解し、手放す為のプロセスを通っているのだと思います。

自分の考えから言葉に出し、行動した結果を見た時、なぜ?と言う、「問」に気付くよう仕向けている「何か」が有ります。

この「何か」が、人の心の中で、働きかけています。



でも、この「何か」を、全人類が理解するには、人類はもう一度大きな痛みを味わなければ、解らないかもしれないのかな?と感じます。

できれば、避けたい痛みではありますが・・・。











人の思いやること知り、人の優しさを感じ感謝し、有るモノ全てを分かち合える事を、喜びだと感じられれば、戦争など本当に無意味なことだと感じられるのに・・・。




変化とは。

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悩みとは、何とかしたい、変わりたい、変化したい!と言う合図だ。

悩みのレベル(種類?)にもよるが、人生に対しての悩みは、覚醒への扉だ。

「今。何のために生きているのだろう?」

と言う事は、今と言う今生、人生に真剣に向き合っている姿勢だ。

日々の出来事を真剣に捉える姿勢が、人生を劇的に変える鍵になる。

全ての出来事は、自分の思考から発せられる、感情や思考と言う目に見ない波動は織りなす現実であり、
他者が介入していると言うのは、思い込みだから。

一見、介入しているかのように感じるのは、そう思い込みたいと言う幻想で、真剣に出来事に向き合うと、その幻想は溶けてなくなる。

特に、不の出来事に対しては、顕著な変化をもたらす。

不の出来事に対し、感情を抜きに向き合い、最善だと思う考えで言葉を発し、行動に移すことで、この変化を体感、体験できる。

特に損得勘定と言う、不の根源的考えを、放棄して自分と向き合う姿勢が、これを可能にする。

損得を無視して、相手を思いやる言葉や文字には、強烈なエネルギーがあり、劇的な変化へと繋がるが、
この強烈なエネルギーは、人や出来事を操作するようなチンケなエネルギーでは無いと言うことを、理解していないと、負の連鎖が始まる。

人生とは、個々に与えられた、素晴らしい体験を意味するもので、人に自慢したり、羨ましがられるようなモノは本当の人生ではない。

だが、自分が心地よいと思う物(物質)や出来事を手にしたり、手に入れる事を体験する事が悪いと言う事ではない。

この違いを、しっかり認識していれば、今と言う現状が一変する。

目標、目的に、明確な確信がもたらされ、それは素晴らしい道しるべと変わる。

自分と他人の隔てが無くなり、視野が広がった瞬間、悩みに助けられたと気付くかもしれない。

悩んでいたのは、この為だと感じる場合もある。

人生は、自分のした行為によって引き寄せられたモノの集合体だから、違うと感じた感覚、出来事を一つ一つ検証して、「今」に適応していく必要がある。

なぜ人生が変わらないかは、ここを理解していないからだ。

また、多くの人と出会い知り合い知り合うことは素晴らしい事だが、それは変化では無。
また。場所、職場などを変えることも、変化では無い。

自分の意識を変えることが、本当の変化だ。

相手を変えようとか、状況、場所を変えることが、変化では無い。

が、時と場合によっては、有効な時もあるが、変化と言うより、プロセスの変更に留まるだろう。

変化とは、意識の覚醒であり、それは「悩む」と言う一見マイナスと思われやすいポジティブな意識が生み出す調和であり真実への導きだから。




「思い込んだら」

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「思い込んだら」の強い人は、現状と理想のギャップが大きくなると、思考が過剰に働きだして現状と理想のギャップを埋める為に色々想像して、一人で思い悩んで、人によっては自滅行為に走る場合もあります。

で、こういう人は、この「不の思考」の創り出す妄想を確実に捉え、認識して過大妄想の中に入り込まない、取り込まれないようにすることが大切です。

で、意外と単純な方法で、この不のエネルギーを防御できます。
それは、その人の事を考えないだけです、一緒にいても必要事項だけに集中し、それ以外は干渉しないようにします。
すると、相手と自分を繋ぐ気の流れが変わり、相手から送られてきた気が自分を素通りますから、相手のイライラを受けなくてすみます。

これは現状(人生)に対しても同じで、現状への不満が不のエネルギーの根源ですから、不満に執着している自分に気付くように心がけて、それに気付いたらそこから離れるようにします。
呼吸に集中して、数秒間でも思考を止めると、冷静な自分が目を覚まします。

「無」の状態での精神の「強さ」は、状況や人(人の放つ波動)、出来事に左右されないでいられるといことですから、真の強さだと思います。

さらに人や物や自然に何の害も加えません。

例えば、スポーツ選手などトップアスリートなどを、精神が強い人と言って称賛しますが、勝者がいて敗者がいる世界ですから、敗者側の精神のストレスは相当なモノです。
そして、勝者は敗者から強いプレッシャーを受けながら、戦い続ける訳ですから、選手生命が短いのも当然と言えるでしょう。

これは、会社でも同じで、出世に固執した者同士の戦いは、アスリートと同様に精神と身体を蝕んで、足の引っ張り合いに汚職など会社に不利益な状況を生み出し、そのツケを自殺で精算する場合もあるほどです。


これを、自分の人生(現状)に対して行えば、どうなるでしょう?
自分で自分の足を引っ張るなど想像出る人は少ないので、最悪と思える出来事が連続的に起きているように感じて、その矛先を他者に向ければ、不の連鎖の始まりです。

ですから、自分の言いたい「強い精神」とは、アスリートとか勝ち組サラリーマン、権力者、芸能人・・・など、社会的地位の高いと言われる人々の「精神の強さ」とは違うと言う事です。

けして地位が高い人とアスリートや芸能人が良くないと言うのではないのです。(今の権力者と言われる人々は?ですが)

ただ、精神の強い普通の人々もいると言うか、普段一緒に生活してる中でも学べる人々はいるし、ベストセラーの本以外にも良い本は有ると言いたいだけです。



精神の修行に、瞑想は欠かせないモノだと思います。

でも、瞑想は難しいと思う人が多く、中々実践できないようです。

でも、瞑想は普段何気なくしている場合もあります。

目の前のことに集中している時、周りが気にならなくなる事は無いでしょうか?
で、この時、時間の進むスピードが速く感じたりしませんか?
「それ」が、完璧な瞑想状態と同じになります。
で、この状態を、造り出すために、「作務衣」と言う修行法が生まれました。
掃除や炊事など、日々の生活の作業に集中する修行です。
ただ、足を組んで目を閉じるだけが瞑想のスタイルではないのです。



で、精神を強くすると言うのは、いかに「無」の状態を維持できるかだと思います。

呼吸を整え気持ちを落ち着け、自分自身をよく観察することが重要だと、マスター達はいつの時代も言い続けてきたのだと思います。

浮んだ考えを観察し、言葉に注意をはらい、行動は慎重に行うという、一見めんどくさいと思える作業は、落ち着きのある人特有のモノだと思います。

これは演技できないほど、洗練されていますので、偽者はすぐにボロを出します。

なぜなら、考え方、言葉の使い方、行動に矛盾が見えてくるからです。

話は、もどりますが、心と身体は密接と先に書きましたが、心(思考)の放ったモノが身体に到着するには、時間がかかります。
そして、症状がでるまでに蓄積もされますので、症状が出るのは数か月後とか数年後に出る場合もあるので、なにが原因か探るのは困難です。
でも、自分の心の傾向を知る事ができれば、改善は容易です。

まずは、自分の心に耳を傾けて、よく心の声を聞くことが必要です。

必要な考えと、不要な考えを選別し、その時の最善を選択していこうと思えば、人生は必ず導きとなるヒントを与えてくれます。
でも、自己中心で利己的な考えしかできなければ、不の貯金を人生にし続けるわけですから、人生は厳しい結果を突き付けて来るでしょう。


と、なんだか解ったように書いていますが、毎日は利己的な自分と葛藤しながら反省の毎日です。
自分を観察しつつ、現状を受け入れ、物事に優劣をつけないで、選択は常に愛からなんて、中々できるものではありません。


それにしても、佛陀やキリスト、荘子、孔子、空海のようなマスター達や名もなきマスター達は、本当にすごいと思う。

欲を一掃した精神とは、いったいどんなモノなのか?

ほんの少しでも良いから体験したいものだ。



                   
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