
輪廻転生を信じるか?と言う質問を受け「信じる」と答えると、死んだらどうなるかと、当然の質問を受けた時の話。
まず人は死ぬと、霊界に入るそして、今生を高速で振り返り反省?
で、待機エリアみたいな所で、次の「生」でのテーマを決め、次ぎの生に備える。
待機期間は、全ての条件がそろえば最短で死後数日で転生できるみたいだけど、そうでないければ条件が揃うまでいつまでも待ち続けるみたい。
で、この時、今生に未練を残すと、自分の放つ未練のエネルギーに引き付けられ成仏できず、現世と霊界の狭間で漂うこととなり、時々写真に写って心霊だ幽霊だと言われる存在と化す。
で、この未練は、主に「好きだった人、家族」や「完結できなかった事」などへの未練だが、最悪なのが恨みツラミと言う「怨恨」を根源にするものでの不浄仏。
これは自分を苦しめるだけで、現世と霊界の狭間でいつまでももがき苦しむことになるので、速やかに浄化し成仏することを進めるが、ほとんどの場合自力での成仏は困難を極めるようだ。
運が良ければ、霊感の強い人に見つけられて、成仏させてもらえる時もあるが、無ければ出会うまでさまようこととなる。
なので、生前から死に対しての勉強をしておくと良いと思うし、最近は終活と言う言葉があるようだが、死に対しての認識を高める言葉として使う方が良いと思う。
まぁ。葬儀も商売の一つだから仕方無いとは思うが・・・。
また、怨恨の不浄仏の場合、怨恨の原因となった側に罪悪感が有れば、不浄仏霊と化した者(幽霊となった人)と波長が合いやすく、お互いを引き付け合って、怨恨のエネルギーを送り続ける負の連鎖が始まる可能性があるので注意したい。
こうした場合は、生きてるとき同様、お互いの非を認め、お互いを赦し合うことが、浄化の役に立つが、これを実践できる人間と霊はほとんどいないので、生きてる側が対処するのが一番早が、悪質で低能な霊能者には注意が必要となる。
で、次に、転生するのは「人間」だけかと聞かれたが。
これは、ちょっと、複雑な問なので、なるべくかみ砕いて答えることにしたが、やはり難しい。
転生とは、魂が無ければ転生できない。
自分の認識でいう魂は、神、仏、宇宙全体を包み込む存在で、我々はその魂の一部と言う認識と認識している。
そして、その魂は、ある意味分裂することで、「他」を知り「自」を認識できる存在になり、元は同じ魂だが違う魂と言う認識ができるようになって、相対性を意識できることで「ここ」と「あそこ」「男と女」「生と死」を体験できるようになった。
しかし、この概念は、地球上では人間だけが認識し体験できるが、他の動物はここまでの認識を一部の哺乳類以外は持っていない。
これが動物と人間の大きな違いだ。
この意識する能力が人間を飛躍的に成長?させたと思う。
意識は過去・現在・未来を創り時間と言う概念も生んだ。
この概念があることで、人は知識と経験を時空を超えて使える事ができるのだ。
この時空を超えてと言うのは、魂の能力によるもので、意識的にできる人間が超能力者とか霊能者と言われる。
だから、人間だけがモノを創りだしたり、言葉を話し、五感と呼ばれる機能を他の動物より複雑で繊細に使うことができる。
これは、魂に意識がプラスされたことにより、過去生の記憶をDNAに潜ませることで、認識力が上がり他の動物より進化?した行動を可能している。
この「意識」が五感と連携して、多種多様なモノを創りだしたり、あらゆる行動の手助けをしている。
動物は存在すること「生」を主としているので、五感を「生存」の為に集中して使うが、人間は五感を「楽しむ」為に使う。
美を楽しむ「目」
音を楽しむ為の「耳」
香りを楽しむ為の「鼻」
モノを味わい歌を歌うための「口」
ふれあい、快楽を楽しむ為の「触」
と言うように、現代人は五感を発達させてきた。
そして、六個目の感覚「第六感」を忘れてはならない。
この感覚は、全ての動物に備わる感覚で、人間は五感だけに捕らわれるようなり、この第六の感覚を信じなくなった。
しかし、動物たちはこの感覚を今も最大限に活用している。
その証拠に、地震や津波と言う自然の大きな異変に気付く事が出来るし、危険を察知し捕食者から身を守ることもできる。
逆に捕食側は、第六感を駆使して、捕食される者の動きを先読みして、捉えることができる。
更に、この捕る者、捕られる者の間に「怨恨」は無く、自然のサイクルとしてバランスを取り合っているのだ。
で、残念な人間は、第六感を霊感だの超能力だのと、一部の人間しか使えない能力だと勘違いさせられ、特殊な人間に従うことを選び、後に彼らの能力に嫉妬し妬み迫害し殺すのである。
なぜなら、自分よりも能力の髙い者を、脅威と感じるという歪曲した概念を刷り込まれた時代(過去)があるからだ。
この「ねじれた概念」に気付き、自分達の真の能力に気付けば、嫉妬や妬みに縛られず、第六感を呼び覚ませば「六根清浄」が言う
「五臓の神君安寧なるが故に天地の神と同根なり 天地の神と同根なるが故に万物の霊と同体なり」
「ごぞうのしんくんあんねいなるがゆえに てんちのかみとどうこんなり てんちのかみとどうこんなるがゆえに ばんぶつのれいとどうたいなり」
となり、元は同じだが、その元から生まれた「バリエーション」だということに気付く事ができるのではないだろうか?
こうなれば、お互いを尊重せづにはいられなくなる。
なぜなら、自分も相手も同じなのだから、相手を傷つけることは自分を傷つけるのと同じ事で、そんなことはできないと気づけるからだが、これを認識するのは、この事実に意識を向けなければならず、頭で認識しようとしても無駄な概念なところが厄介だ。
人間は、概念(物事への意味)とか観念(イメージ)を、自分の意識次第で変える事が出来る。
人間の「身体」は物質で、「霊体」(精神とか心)は体を創るひな型(DNA)と過去世の記憶を一部含んだもの、「魂」は万物の始まりから終わりまで全てを含む全てで、その一部を分割し「身体」と「霊体」を包んでいる。
で、この三位一体(三位合体?)を達成して「悟り」となるが、ほとんどの人が「身体」と「心」しか認識できていないので、世の起こり(出来事)は不調和になるのだ。
人間をPCに似ていると言うがまさにと思う。
人は、変わろうとする時に新たなOSをダウンロードして、意識というソフトをアップグレードしていく。
そして、魂と言う外付けのHDDに蓄積されたデータ(記憶)から、高度な智慧を引き出すことができる。
でも、OSが古いままだと、対応ができないので、いくらダウンロードしても理解できずにバグを起こすのだ。
また、あえてアップグレードせずに、古いOSのままでいる人々もいる。
これは、時代の流れに、恐れを感じたり、周りの変化に逆らってしまう人々だが、生き方は、その人の自由で進む速度も自由で選択は各個人に任されている。
これが「宇宙」の法則だが、いつまでも進まないわけにはいかないので、いずれは皆同じ場所に行きつくことになる。
それを、同じ「同根」である者同士が「魂」のレベルで切磋琢磨して、お互いを尊重し引き上げているのが「今」なのだと思う。
今とは、現在も過去も未来も全てが「今」であり、それ以外は存在しない。
現代版の解説では、全ては、「今」起きていると、ディーパック・チョプラ氏は、丁寧に説明している。
過去の日本では、空海=弘法大使が、全国で奇跡を起こし日本人の心に刻みつけた。
宇宙最高の経典であると言われる般若心経も「無」と「空」で、人の心と身体に語りかけている。
名も無き仏陀達は、これらの教えを、根気よく説いてきた。
今も多くの「師」=「マスター」が、人々の意識を通して語りかけている。
にもかかわらず、これらの教えに耳を傾ける者は少ない。
その声を聴くかどうかは、自分次第、行きつく先は同じ、ほんの少しでも聞く耳を持つことで、空間の広がりを経験できるのに・・・。